彼の言うできない理由を自分が論理的に1つずつひっくり返すことで、強固な自己認識を変えられるのでは?と思った。食い下がる自分に対し、彼は最後にこういった。「でも底辺もそれなりに楽しいんだよ」と。それを聞き、自分は彼を救うことを完全に諦めた。

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救われる気がない人を救うことはできない

自分が好きな言葉に「天は自ら助くる者を助く」というものがある。筆者は「自ら救われる気力がない人を他人が救うことはできない」と解釈している。彼は最初から救われる気がまったくないように思えた。どれだけ論理的、実現可能性を示しても差し伸べた手を取ることはしない。

希望を失った人間に再び希望を与えることは簡単なことではない。自分自身、育ちは決して裕福ではなくむしろ人生の前半は苦戦した記憶しかない。だが、いつだって希望を失うことはしなかった。

昔、立ちはだかった壁は一つずつゆっくり乗り越えていったという感覚がある。困難は人生を不幸にするのではなく、成長を促してくれるチャンスでもある。困難を乗り越えた後はいつも大きな成長を感じてきた。それが人生の不確実性を乗り越える強さに必要だと信じて生きてきたし、後から振り返ると思い出は美化され「大変だったけど楽しかった。あの時に頑張ってよかった」と考えてきた。

だが人は完全に希望を失ってしまうと、もはや壁を乗り越えようと思わなくなってしまうのだ。完全に枯れ果てた木に水をやってももう二度と芽は出ない。自分自身で救われようと思わなければ、誰にも救うことはできない。

いつだって希望を持ち続けることの重要性を、彼との対話で学ぶことができた。そういう意味では良い経験だったと言えるのかもしれない。いや、半ば強引にそう思い込もうとする自分に気づく。そう考えなければやるせない気持ちに染め抜かれる、そんな出来事だった。

 

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