学術会議法改正案の閣議決定が見送られ、民営化が再検討されるようです。2020年10月12日の記事を再掲します。

東京・六本木の日本学術会議(編集部撮影)

学術会議法は「学界の新憲法」

学術会議をめぐる議論が迷走している。もともと内閣が諮問機関の人事をその機関に白紙委任することはありえないので、民主的統制のまったくきかない従来の運用が異常であり、今回はそれを正常化しただけだ。

この異常な運用の背景には、学術会議法が学問の世界の新憲法だった歴史がある。戦前には日本学士院と学術研究会議があったが、戦争に協力した学術研究会議は解散され、幹部は公職追放になった。それを総理府所轄の政府機関として再建したのが日本学術会議だった。元会員の生駒俊明氏(東大名誉教授)はこう書いている。

日本学術会議は、戦後間もない時期にGHQが日本の「軍国主義」を廃絶し「民主主義」を根付かせるために、学者を組織し学界を日本社会の思想的バックボーン形成の中心に据えようとして、日本政府に作らせたものである。したがって、その組織構造は会員選出法を含めて極めて「民主的」であった。すなわち、ある一 定の資格をもつ「学者」が一票の選挙権を持ち、「学者」全員の直接選挙で会員を選出した。

学術会議は日本の再軍備を防ぐために政府に送り込まれた監視役であり、そのためには外郭団体ではなく政府の中枢に置く必要があった。ところがこの制度設計が裏目に出て、共産党が学術会議を乗っ取ってしまった。

1950年の戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明や軍事研究の禁止などの極左的な方針をとるようになったため、吉田内閣はこれを民営化する方針を打ち出した。

学術会議が設立された4年後の1953年に、学術会議は民営化に反対する要望書を出している。ここでも「日本学術会議の設立に当つて異常な関心を示したGHQが、それを国家機関とすることを認めた」と、GHQの意向を強調している。

学術会議が諮問機関として機能しなくなったため、政府は学術審議会をつくり、学術会議に諮問することはほとんどなくなった。この状態を是正するため、1983年に学術会議法が改正されて学会推薦になり、共産党支配は弱まったが、今度は学会ボス支配になった。生駒氏はこう書いている。

少しでも自分の分野を予算配分等で有利に導こうと駆け引きが始まった。文部省の科学研究費補助金の審査委員に少しでも自分達の仲間が入るようにする。政府に対する勧告や要望はどう見ても我田引水としか思えないもので、「この分野の研究は大事であるから政府は予算をつけろ」と読めるものが頻発した。