当方は一介のジャーナリストに過ぎないが、それでも取材中に何度か危険にさらされた体験がある。冷戦時代、ブラチスラバで「宗教の自由」を訴えた集会を取材中に治安部隊に逮捕され、7時間余り尋問を受けた。チェコのプラハでは当時、反体制派指導者だったヴァーツラフ・ハベル氏(後に大統領)の集会を取材中に警察官にマークされた。ウィーンでは毎朝7時きっかり、自宅に電話がかかってきた。電話は1週間ほど続いただろう。相手は沈黙するだけだった。当方は当時、脅しの電話をモーニング・コールと呼んで平静を装っていたが、やはり嫌なものだった(当方は誰が電話しているかを知っていた)。1度は3人の北朝鮮工作員に尾行され、プラハでは少々危なかった。今となっては思い出に過ぎないが、ジャーナリストという職業はやはり危険が伴うものだ(「30年前のロウソク集会の思い出」2018年3月27日参考)。
参考までに、「言論の自由」の蹂躙やジャーナリストへの迫害はロシアや中国の全体主義、共産主義国ではよくあることで、そこで取材するジャーナリストには予め決意と準備が必要だろう。一方「メディアは第4権力」と呼ばれ、「報道の自由」、「言論の自由」を豪語する日本で「記者クラブ制」が存在し、ジャーナリストの取材活動が制限されている。偽善ではないか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。