したがって、高い出生率はユダヤ民族一般というよりも、イスラエルのユダヤ人が共有する国民意識だと考えたほうがよいのかもしれない。
超正統派のユダヤ教徒は伝統的に子どもの数が多く、この宗派の女性の出生率は6を大きく上回るというデータもある一方、穏健な宗派や世俗的なグループでも出生率は高い。ユダヤ教では子どもを神に遣わされた存在とみて、より多くの子どもを持つことが信仰に叶うことだと考える。この観念は信仰の域を超えて、イスラエルの文化として定着しているというわけである(John Stonestreet and Roberto Rivera, “Why fertility is high in Israel,” October 14, 2018)。
さらに、出生率がナショナリズムに結びついている点に言及する意見もある。2021年末現在、イスラエルの人口(ヨルダン川西岸入植地を含む)は944.9万人、うちユダヤ人が74%、アラブ人21%、その他5%に対し、ヨルダン川西岸とガザ地区に住むパレスチナ人は500万人余りである。
ルイス・マーチ氏によると、1990年代PLO(パレスチナ解放機構)のヤセル・アラファト議長が「私の最強の武器はアラブ女性の子宮だ」と発言し、イスラエルとその一帯がアラブ人優位になるのではないかとの恐怖がユダヤ系イスラエル人を震え上がらせたという(Louis March, “Israel: natalism and nationalism”, Sept. 29, 2022)。
折しも1990年代のイスラエルの出生率は、図のように下降しており、国策として出生率上昇に取り組んだことは想像に難くない。世界最高水準の不妊治療を誰もが受けられるのも、こうした国を挙げての取り組みの一環なのだろう。
2020年時点の当該地域のアラブ系女性の出生率は3.13、対するイスラエルは3.03と、ほぼ互角である。しかしながら、イスラエルはアラブ系よりも高齢化が進んで死亡率も高く、これが両者の人口バランス変える要因になり得る。
イスラエルが人口の優位性を維持するためには、さらに出生率を上げなければならない。マーチ氏は、こうした「出生主義(natalism)」(生殖を人間存在の重要な目的として、人口増に邁進する考え方)と民族主義(nationalism)の融合を危惧する(Louis March前掲書)。
人口規模は国力に影響するため、出生率は国家の過剰な介入を招きやすい領域だ。日本でも、戦前が兵力増強のための「産めよ、殖(増)やせよ」、戦後は食糧難解消と社会的安定のために一転してバースコントロールが推奨された。そして、今再び少子化は「国難」とばかりに、政府の最優先課題の一つになっている。
政府の取り組みに水を差すつもりはない。けれども、出生率を上げるためなら何でもあり、というのは願い下げである。イスラエルも、今後は下降をたどり、2100年には人口置換水準(2.1)を割り、1.93になると予測されており、少子化の運命には逆らえないのである。
「出生主義」は社会を不寛容にする危険性がある。寛容な社会でこそ安心して子どもを産み、育てられるのではないだろうか。