上記のバチカンからのニュースは一見、合理的で時代に呼応する対応だが、少し穿った見方をすれば、聖母マリアの再臨現象が世界各地で報告されていても、その信憑性が疑わしいケースが少なくないため、バチカン側が危機管理に乗り出したというべきだろう。
チェッチン神父は実際、「聖母マリアの再臨などで語られるメッセージが混乱を引き起こし、恐ろしい終末論的なシナリオを広めたり、教会批判を拡散することも増えてきた。世界のさまざまな地域で報告されている亡霊や神秘的な現象を正しく評価および研究するために、国内外の委員会を活性化する必要がある」というわけだ。監視委員会は運営委員会と中央科学委員会で構成され、行動範囲を拡大するために運用ネットワークが作成されるというのだ。
カトリック信者にとって聖母マリア再臨の巡礼地といえば、ポルトガルのファティマの(1917年)やフランス南部の小村ルルド(1858年)がよく知られてきた。最近では、ボスニア・ヘルツェゴビナのメジュゴリエで聖母マリアが再臨し、様々な奇跡を行ってきた。
ボスニアの首都サラエボから西約50kmのメジュゴリエでは1981年6月、6人の子供たちに聖母マリアが再臨し、3歳の不具の幼児が完全に癒されるなど、数多くの奇跡がその後も起きた。毎年多くの巡礼者が世界各地から同地を訪れてきたが、バチカンは巡礼地として公式に認知することを久しく避けてきた。
カトリック教会では「神の啓示」は使徒時代で終わり、それ以降の啓示や予言は「個人的啓示」とし、その個人的啓示を信じるかどうかはあくまでも信者個人の問題と受け取られてきた。イタリア中部の港町で聖母マリア像から血の涙が流れたり、同国南部のサレルノ市でカプチン会の修道増、故ピオ神父を描いた像から同じように血の涙が流れるという現象が起きている。スロバキアのリトマノハーでも聖母マリアが2人の少女に現れ、数多くの啓示を行っている。それらの現象に対し、バチカン側は一様に消極的な対応で終始してきた。
聖母マリアの再臨地には多くの巡礼者が殺到し、病が癒される奇跡を願う。巡礼地には若者たちの姿も少なくない。教会関係者は、「若者たちは奇跡を追体験したがっている。科学文明が席巻する今日、若者たちは奇跡に飢えている」と説明する。その一方、フェイクの再臨現象も出てきた。聖母マリアの再臨地となれば、世界各地から多くの信者が巡礼にくる。表現は良くないが、現地の教会、その地域にとって大きなビジネスとなるからだ。フェイクの聖母マリア再臨を回避するために、「聖母マリアの再臨現象の真偽を調査せよ」という課題が出てきたわけだ。
最後に、トマスの話に戻る。「復活イエス」をイエスの12弟子全てが信じたのではなく、1人の弟子が疑ったことから、「復活イエス」の話はより信憑性を勝ち得る結果となったのではないか。聖書の語り手の知恵を感じる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。