
黒田総裁 NHKより
個人的には日銀がテクニック論に走る一方、本質的な日本の体質改善に非常に時間がかかっていた、よっていくら金利を下げても意味はなかったのではないかと思っています。つまり、労働者というプレーヤーが労働市場において総入れ替えになるまで改善できなかったのです。いや、もしかしたらお亡くなりになるまで無理なのかもしれません。つまり日銀が2%のインフレを生み出す魔法使いではなかったと考えています。
2000年代初頭でしたか、バブル待望論が出たことがあります。安くなった不動産価格を持ち直させることで個人の財の潜在価値を引き上げるのです。私はそれが出来ればよかったのだと何度か意見したと思います。事実、黒田氏が2013年に就任以降、株価がうなぎ登りになり、高齢者が持っていてた塩漬け株が売却できて、高級時計などが飛ぶように売れた時期がありました。つまり、一定のバブルは資産の流動化が生まれ、経済をより動かせるのです。しかし、政府はこれを非常に恐れたのです。その恐れが回復力を削いだと私は考えます。
まとめると黒田氏は10年間、もがいた、そして2%のインフレを達成するために何か方法があるだろうとドラえもんのポケットの如く、様々な手法を披露したけれどそれは役に立たなかったのだと。企業は損失をバッサリ切り落とすことができます。が、個人は破産しない限りそれは出来ない、そしてほとんどの人は個人破産を選べなかったのです。これはアメリカの2007年の住宅バブル崩壊の際に破産者が続々出たのとの違いです。何故か、と言えば日本には罰点文化があり、一度ついた罰点は一生背負うような仕組みだからです。
日銀うんうんというけれど実際には極めて深い話で、日本人論まで引っ張り出さないとこの話は出来ないのだろうと思います。黒田氏に於かれましては68歳から78歳という高い年齢にもかかわらず、ぶれない政策で走り続けました。日銀総裁としての際立つ歴史であったと思います。ご苦労様でした。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年4月11日の記事より転載させていただきました。