十字架による処刑が残忍であることから、処刑手段として十字架が廃止されていくが、それとほぼ同時期に、キリスト教会では十字架のイエス像を教会に飾るようになった。すなわち、キリスト教会は恣意的か否かは別として、ユダヤ民族がイエスを磔刑にしたという記憶を信者たちに刻み込んでいったわけだ。

ここで指摘したい点は、ユダヤ民族が殺したイエスは最初のキリスト者であり、同時に、ユダヤ人だったという事実だ。それではどうしてそれが反ユダヤ主義となって世界的に広がっていったのか。答えは、世界宗教に発展していったキリスト教会が自身の出自であるユダヤ民族の伝統、教えから距離を置く必要があったからだ。イスカリオテ・ユダの存在はその大きな助け手となった。

新約聖書の福音書にはユダを批判する箇所が多い。「ルカによる福音書」ではイエス自身がユダに「人の子を裏切るのか」と言っている。「ヨハネによる福音書」では、ユダは金銭欲が強く、イエスの弟子の中では金を管理し、詐欺師のような人物を示唆している。「ヨハネによる福音書」13章2節には「悪魔は既にシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」と記述している。いずれにしても、新約聖書のユダ像は重く、暗いイメージが付きまとっていった。

ただし、キリスト教会のユダ像は教会の基本的な教えと矛盾する部分が出てくる。キリスト教はイエスの十字架の死によって人類の救済の道が開かれたと教えるが、ユダがイエスを引き渡し、イエスが十字架上で殺害されなければ、十字架救済は成就できなかったはずだ。ユダはイエスの十字架救済を実現させた立派な功労者ということになる。にもかかわらず、キリスト教会では久しく、「イスカリオテ・ユダ」は忌み嫌われてきたのだ。

なお、ローマ・カトリック教会は教会の近代化促進とユダヤ教を含む他宗派との和解の流れの中でユダヤ民族を「メシア殺害民族」と評さないことを正式に決定している。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。