さらに読売は「放送局に圧力をかける意図が官邸側にあったなら、重大な問題だ」、「放送局が自浄作用を高めるうえで、第三者機関である放送倫理・番組向上委員会(BPO)を適切に活用していくことも重要だ」(3月15日)とも指摘しています。「放送局への圧力」の有無、「BPOの活用」を本心で考えているのか。核心部分はそこです。

NHKや民放が出資し、組織した放送倫理委員会が政治的公平性の問題で何か調査を始めたか、政府側に意見、要望を述べたかというと、そうした形跡は伺えません。民放の大株主になり、報道で連携している新聞各社は何か働きかけているようにもみえません。ここが肝心な部分です。

テレビ朝日と関係が深い朝日新聞の社説(4月2日)は「政治主導が強まり、政策決定過程を検証するうえで、政治家の言動を記録する行政文書の重要性が増している。文書作成の経緯が解明が不十分なままだ。官僚の萎縮を招く」と書きました。

私が思うに「官僚の萎縮」よりも、「テレビ報道の萎縮」の実態の解明こそ必要なのです。報道番組が政治的圧力、電波行政側から圧力を受けているのかどうかを説明してもらいたい。

「行政文書作成の経緯の解明」よりも、「テレビ報道が委縮しているかどうかの解明」が必要なのです。それを朝日側は回避している。

高市・元総務相(当時)は国会で「一つの番組であっても、こうした極端な場合(①選挙中に特定候補だけを殊更取り上げる②国論を二分する政治課題で一方の見解のみを取り上げ繰り返す)は、政治的な公平を欠く」と指摘しています。16年2月の政府統一見解はそうなっています。

朝日の社説(3月24日)は「当時の高市氏の答弁を総務省が修正したとしたら、妥当なことだ」と主張しました。実際には、総務省が修正したのではなく、従来からの説明を繰り返したにすぎない。朝日は妙なことをいう。

さらに朝日は「高市氏の答弁は報道の萎縮を招き、事実上の検閲にもつながる」と批判しています。朝日側は「これまでどのような報道の萎縮があったのか、報道の自粛を招いたことがあったのか」を検証し、公表することです。それがメディアの責任です。

恐らくそれはあったのでしょう。だからそう書く。あったのは、放送局のトップらが圧力を感じたか、忖度して対応した結果だから、外部には言えない。そういうことなのだろうと、想像します。

さらに朝日は「内部文書の正確性の事実関係について、第三者による検証を求める」と指摘しました。政府側にそれを求めるなら自らも、第三者による「報道の萎縮」を検証すべきなのです。そこは逃げている。

放送倫理委員会(BPO)には、放送倫理検証委員会、放送と人権に関する委員会、放送番組委員会などがあります。なぜこの場を使おうしないのか。電波行政の管理権を握っている総務省を恐れているのか、自らの内部事情を明らかにしたくないからなのか。

視聴者が知りたいのはそこなのです。総務省の心証を害したところで、高市氏がかつてほのかした「停波」(電波の許可の停止)なんで脅しであり、できるはずはありません。新聞、テレビ側の対応が歯がゆい。

編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年4月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。