核心を外した国会審議と新聞社説

総務省が2014-15年に作成した放送法に関する行政文書を巡り、政治的公平性の解釈が変更されたのか、政治的圧力がかかったのか、文書は捏造だったのかなどが曖昧のまま、国会は後半に入りました。

岸田首相や総務省が「解釈の変更ではなく、補充的な説明だ」というのも、妙な表現です。放送法第4条の運用が変わり、放送局に対する新たな圧力となっているのかどうかが問題なのです。「変更か補充か」という言葉が問題なのではない。

高市早苗大臣 NHKより

総務省がいう「文書は総務省が作成した行政文書である」の意味が「捏造文書。不正確な文書」(高市・元総務相)に対する否定なのかどうかも、分からない表現です。問題の核心から外れた無駄な論戦です。

国会は不毛な議論に時間を浪費する場であることが立証された以外、得るものがありませんでした。安全保障環境、インフレ抑制、今後の財政金融政策など問題が山積しているのに、こんなことばかり続けているのかと、改めて失望しました。

核心から外れた議論で政治的エネルギーを消費しているのは、放送法の対象業種である放送局、民放の株主である新聞が政治的圧力の有無について発言せず、沈黙しているためでしょう。メディア側は常識的な一般論しか説明していません。

テレビの報道番組が政治的な圧力で萎縮しているのか、政治的公平性が失われた番組が実際にあったのかなど、視聴者が最も知りたい核心の部分はここでしょう。

報道の自由、政治的公平性に対する政治的圧力の有無が問題なのです。それなのに、「政府は憲法が保障する表現の自由は尊重すべきだ。放送局も正確、公平な番組作りを心掛ける」などの主張を聞かされても、「はい、ごもっともです」としかいいようがありません。

読売新聞の社説(4月3日)は「放送局の政治的公平性をどう確保するかといった本質的な議論は二の次にされ、この行政文書の記載が正確か不正確かで堂々巡りになった。野党は高市氏を辞任に追い込むことに躍起になった。旧態依然の論戦を改めよ」と、指摘しました。もっともな主張です。