ところで企業は会長、社長制度を取り、更に取締役会とその議長と役割を分離、管理する方向にあります。更には委員会制度を導入している企業も増えています。なぜでしょうか?企業統治ですら社長一人ではできないのです。比較は悪いですが、私も社長業を20年以上やっていますが、最近は実務をやる時間がほとんどありません。今日こそは、と思い、会社に行くと概ね全然違う業務に追われます。先日も電話とZoomのやりとりだけで4時間は費やしています。社内会議が存在しない私の会社ですらそんな具合なのです。そうなると結局土日の邪魔されないときに仕事をすることになるわけで精神衛生的にも良くありません。
お隣の中国の仕組みを見ると統治体制の層が厚いと思います。国家主席と首相、更に重責の最高指導部…と重層になっています。最近話題になっている中国の外交手腕は習近平氏が直接的にやっているわけではなく、王毅氏の責任下で進めており、最後の華を習氏が飾る、という仕組みです。しっかりした分業体制です。フランスや韓国は大統領制なので大統領が外交などをやり、首相が国内問題をやります。アメリカに首相はいませんが、政府部門の役割分担とその責任所在は明白で大きな権限を持っています。それにアメリカの大統領はアメリカ議会には特別な時を除き、来ることはありません。
が、日本の場合、先日のG20外相会議に出席できなかった外務大臣のケースのように国会が神聖化されています。首相も国会に出席し、外遊をこなし、各種会議に出席し、国内外の来賓と接し、大きなイベントには出席します。また、首相の専権事項とか首相の判断に委ねることが多くなっています。これ、一人でやらせること自体がもはや無謀だと思うのです。
これに対して異論をはさもうにも制度的に日本は議院内閣制故に変えられない、これで思考が止まってしまっているのです。10年後に社会が更にどれだけ複雑さを増したとしても同じ理由で改革の検討することすらしないでしょう。
その硬直性が日本の立場をどんどん弱くしていると考えています。
私はあるNPOの会長をしています。制度的には首相と同じです。ですが、私は就任当時からある宣言をしています。それは私は組織の大枠や外部との関係を主体に担当するので実質的に無任所だった副会長を内政の仕切り役にしたのです。組織構成は変わっていません。が、これで運営は大きく改善したことは事実です。つまり企業で言う会長と社長とかCEOとCOOの役割分担のようなものです。
日本の失われた30年を語る際、経済的な低迷に焦点が当たります。ですが、社会の変化に十分対応できていない政治体制も重要な要因があったのではないかと思うのです。バブル崩壊後の日本を語るにおいて世界に後れを取る日本の政治と統治手法が一つも改革されていないに焦点が当たることはあまりありません。
なぜでしょうか?政治家は当選した瞬間に保守的思想になり、自分の地位にしがみつくからでしょう。政治の内部からの改革などまったく期待できないのです。そういう意味で国民が直接選ぶ大統領制は制度的あるいは考え方としては一つの切り口になりえます。日本には天皇制度があるので大統領制度が取れないというならば名称は何でもよいのです。内閣を監視し、議会運営に直言し国民の声を反映できる制度改革は考慮すべきではないかと思います。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年4月4日の記事より転載させていただきました。