行方不明になった少年が3年後に遠い外国の地で見つかった。いったい何があったのか。ともあれ両親は大喜びで息子を引き取り、一家団らんの生活が再開したのだが――。
家に帰ってこなかった13歳の少年
行方不明になった人物が歳月を経て姿をあらわすというレアケースがある。失われた季節のなかで微妙に変化を遂げていた当人とその周囲の人々は以前の関係を取り戻すことができるのだろうか。
1994年6月のある日、米テキサス州サンアントニオで暮らす家族の息子、ニコラス・バークレー(当時13歳)は、いつものよう放課後に友達とバスケットボールに興じていたが、日が暮れても帰宅しなかった。
だが家族はそれほど心配はしなかった。というのもニコラスは“やんちゃ”な少年で、街でケンカすることもよくあり、家に帰ってこないことも珍しくなかったのだ。この数日後には教育関係者によってニコラスを少年院に送るかどうかを検討する聴聞会が行われる予定が控えていたほどである。
ニコラスが戻らないまま丸1日が過ぎると、さすがに家族は心配して警察に通報して捜索が開始された。しかし現金5ドルほどの所持品しかなかったと思われるニコラスの足取りを追うのは警察にもきわめて困難なことであった。
何の手掛かりもつかめないまま数日が過ぎるとすぐに数カ月が過ぎ、家族は絶望に包まれた。ニコラスは少年院に入れられるのが嫌で完全に家を出ることを決意したのだろうか。遠くへ行ってしまったのか、近くで隠れているのかもわからず、目撃情報などもなく捜索は五里霧中であった。
しかし行方不明から3年後、バークレー家に朗報が届けられた。驚いたことに縁もゆかりもないはずのスペインの小さな村で、ニコラス・バークレーが発見されたというのである。
ニコラスは駅の近くで最初に発見され、スペインのリナレスにある青少年保護施設に送られた。少年は自分の素性について話すことを拒否したというが、それでも数週間の滞在の間に行方不明者登録簿の写真の照会が行われ、彼は最終的にニコラス・バークレーであると特定されたのだ。
ニコラスの妹がスペインに赴いて兄を家に連れて帰り、両親は3年ぶりに息子の姿を目にして大いに喜んだのだが、3年の歳月は息子を大きく変えてしまっていた。
帰ってきた少年は本当にニコラスなのか?
3年前のあの日、どうしてニコラスは失踪したのか。
ニコラスによるとあの日、友達とバスケットボールをした後の帰宅途中に見知らぬ男たちに誘拐されたという。
その後空港まで車で運ばれ、ヨーロッパ行きの飛行機に乗せられて到着後、誘拐犯は彼を児童性的人身売買組織に売り飛ばしたというのである。
さまざまな苦難を経てニコラスは最終的に人身売買組織から脱走することに成功し、スペインの村で発見、保護されたということのようだ。
親類の何人かは、ニコラスであると主張する少年に疑いを抱きはじめていた。
3年前のニコラスはブロンドヘアに青い瞳をしていたのだが、今の彼は髪も瞳も明るいブラウンであった。そしてかつては少年院に送られる寸前であるほどに粗暴であったのだが、今の彼は穏やかで冷静で、親切といえるほどの振る舞いを見せていたのだ。そして話し方もまったく違っていて、今のニコラスが話しているのはフランス訛りの英語であった。
ニコラスは誘拐犯が彼の髪を染め、瞳に着色して別人にしようとしたと説明した。そして性格と話し方が変わったのは組織で酷い目に遭ったトラウマの影響であると言い、ニコラスに近しい者しか知らない3つのタトゥーが確かに彼の身体にもあったのである。
瞳の色を変える方法があるのかどうかはなはだ疑問であったが、疑惑を膨らませていたのは親族だけではなかった。ニコラスの帰還に関わっていた私立探偵は、家族の家にあった行方不明前のニコラスの写真と、現在のニコラスの写真を詳しく照らし合わせた。その結果、耳の形とサイズが異なることを発見したのだ。
そして裁判所によって命令が下った指紋と血液サンプルの提供とそれに続く検査の結果によって、バークレー家に戻った“自称”ニコラス・バークレーは、行方不明になった少年ではなかったという事実が明らかになった。