目次
3. サンマリノ共和国の歴史
4. サンマリノ共和国の切手と裁判官事情
3. サンマリノ共和国の歴史

(画像=『たびこふれ』より引用)
この国は、紀元4世紀、時ローマ帝国皇帝ディオクレティアヌスによるキリスト教迫害を逃れるために、石工のマリヌス(聖マリノ)仲間と共にチタン山(現サンマリノのティターノ山)に潜伏したのが始まりらしい。
要するに、岩山の頂上に町を作ってしまったということらしい。国際的に独立国として初めて認められたのが、1815年ナポレオン戦争後のウィーン会議。サンマリノの独立が再確認された。イタリアからの正式な独立は、1862年イタリア統一戦争の功労によって、イタリアと友好善隣条約が結ばれ、独立が再確認される。
イタリア政府としても、岩山の上にある平地のないような地方は、どうぞご勝手にという感じだったんだろう。統一戦争にも、中世の鎧を着たおっちゃんたちが手伝ってくれことにも感謝しないといけない都合もあった。
最大の功労は、オーストリア軍に追われていて、イタリア統一を目指していたジュゼッペ・ガリバルディを国の中に匿ったことだ。日本で言えば、幕末に幕府に追われていた長州藩の桂小五郎を匿った、京都の芸者の幾松ねえさんみたいなものか。

(画像=<山頂の砦の内部。花壇で飾られている>、『たびこふれ』より引用)

(画像=『たびこふれ』より引用)
4. サンマリノ共和国の切手と裁判官事情

(画像=『たびこふれ』より引用)
この国の切手は有名。頂上の郵便局から、観光客が自分の家族に、サンマリノ共和国のスタンプを押してだす。残念ながら、イタリアを経るので、そう簡単にははがきは届かない。夏出したのが、クリスマスに届いたというようなこともある。
面白いのは、この国の裁判官は全員外国人。国中がほとんど顔見知り(人口30,002人だけ)なので、裁判官がサンマリノの人だと、情が入って公平な裁判ができないらしい。残念なのは、F1の開催が2007年から、一国1か所のルールのため、サンマリノGRの開催がなくなったこと。本当に残念。

(画像=<山頂から見た共和国の国土。赤みかかった屋根に統一されている>、『たびこふれ』より引用)