4.高市大臣はむしろ被害者

一連の文書を読んでみての感想は、「ふーん、総務省ってこういう文書スタイルなんだ」という驚き(各省で違うものなんだなという。)、そして、そもそも本件行政文書「内容」が正しかったかどうかは別にして、仮に、これが正しいメモだったとしても、一体、なぜ高市大臣が責められなければならないのか今一よくわからない、という感覚だ。

だって、そうではないだろうか。立憲民主党は、「放送行政を歪めた!」と糾弾しているわけだから、歪めようとした人が一番悪いということであろう。それは、彼ら立憲民主党の言う真実の記録が事実だと仮定したとすれば、放送行政を歪めようとしたのは高市大臣でないのは明らかだ。高市大臣は、「こんなことやって大丈夫?」的なご発言を「記録上」されているのだから。いわば立憲民主党の「解釈」を真実と仮定したとしても、「主役を放置して脇役を責め立てている」構図ではないか。おかしなことだ。むしろ、彼らの理論に従えば、高市大臣は疑問を持ちながら従わされた被害者のように見える。

予算委員会では、素晴らしい質疑も沢山ある。少子化対策や労働市場改革の議論はとても面白いし現実の施策にどう反映させるかに繋がるという意味でも政策に直結し、国民のためになっていると感じている。外交防衛についても、同意しない意見もあれど、なるほどそういう考えもあるよなと勉強にもなる。

しかし、本件8年前の文書が真実かどうかを追求するこの放送法質疑は、過去の事実関係や解釈に多大な時間を費やすことの意味がわからない。どうせ質疑するなら、2023年3月現時点において問題があるのかどうか、そして、日本の報道放送のあるべき姿について議論してもらいたいと切に願う。こういう類の話は、別段、本件に限らないが、度を過ぎれば国会の意義について国民の皆様から疑問を持たれないか心配になってしまう。それは健全な民主主義にとって良いこととはとても思えないから。

編集部より:このブログは参議院議員、松川るい氏(自由民主党、大阪選挙区)の公式ブログ2023年3月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は、「松川るいが行く!」をご覧ください。