テレビという「プラットフォーム」が時代に合わない

テレビ離れの本質的問題はコンテンツの質より、プラットフォームによる影響が大きいと感じる。ここからが筆者が本稿で最も強調したい部分だ。

筆者の知り合いにテレビが大好きな人物がいる。BS、CSアンテナを付けて有料チャンネルを契約しているらしい。お気に入りの番組を、ハードディスクレコーダーやブルーレイレコーダーで録画しているのだといっていた。だが、このようにテレビの視聴に理想的な環境を構築するには、機材のコストやセッティングなど視聴のハードルがかなり大きいと感じる。

まず、高画質ディスプレイやレコーダー、アンテナや有料チャンネルのコストがかかる。また、視聴するにも、あらかじめ番組表をチェックし、お目当ての番組の放送時間にテレビの前に座るか、録画予約の作業が必要だ。その際、録画可能な残り容量を確認もタスクとして要求される。スマホに保存して持ち歩くなら、その作業も必要になる。これは大変な労力ではないだろうか。その一方でオンデマンドでの映像配信サービスに加入すれば、ネットに繋がる場所にいれば、スマホでもPCでも見たい時に見られる。特別な機材の準備や、残り容量も気にしなくても良い。

テレビというプラットフォームは、番組の放送時間が決まっていたり、視聴や録画に必要な機材など用意するなど「視聴者をテレビ側に合わせてもらう媒体」と評することができるだろう。他方において、人気を集めるYouTubeやNetflixなら、オンデマンドでPCやスマホなどの媒体で好きに見られる。これはテレビとは真逆で「視聴者に合わせている媒体」と言えるのではないだろうか。テレビと映像配信サービスの人気の違いは、そのまま視聴するハードルの差に直結していると感じるのだ。

テレビ離れの原因は1つではなく、複合的な理由があるだろう。放送倫理が厳しくなってエンタメ性が落ちたり、若者は忙しくて視聴できないというのも一要因と言えるかもしれない。だが、最大のファクターにして決定的理由は、「テレビというプラットフォームが、スマホから発せられるメディアを消化するライフスタイルが浸透した現代人のライフスタイルに合わないから」ではないだろうか。

文・黒坂岳央/提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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