黒坂岳央(くろさか たけを)です。

NHK放送文化研究所の「国民生活時間調査」において、10代、20代の若者世代の半数で顕著なテレビ離れが起きていると発表があった。「これは衝撃的だ」とする、センセーショナルなタイトルの記事が、朝日新聞に掲載された。この記事の報道は大きな反響があり、SNSを中心に次のような賛否の声が散見された。

「番組がつまらなくなったのが最大の理由。中年の自分もあまり見なくなった」

「若者は忙しい。じっとテレビを見るヒマなどない」

「テレビはオールドメディア。番組も中高年世代を意識した作りになっている」

「ネットやスマホなど、エンタメ媒体が多様化したからだ」

ざっとこのような意見が見られた。筆者は意図的に穿った見方をするつもりはないのだが、これらとは異なる見解を持っている。結論を先に言えば、ライフスタイルに大きな変化が起きたことで、テレビというプラットフォームが現代人にそぐわなくなったというのが最大の理由と考えている。

「若者のテレビ離れ」が起きている最大の理由
(画像=marcociannarel/iStock、『アゴラ 言論プラットフォーム』より 引用)

本稿では新たな視点を提供する意図で書かれた。下記にその論拠を展開したい。

「テレビを見ない人」は昔から存在していた

昔はテレビというメディアが、今より視聴者を集めていた。そしてこのことは様々なデータで明らかにされた事実である。だが、昔からテレビを見ない人は、一定数存在していたことにも留意しておく必要はあるだろう。

昔、筆者は「ビジネスマンはテレビはできるだけ見ない方が良い」という主張を書籍で読んだことがある。読んだ当時は新鮮な意見に感じ、衝撃を受けたので今でもハッキリと覚えている。その趣旨を取り上げたい。

まず、テレビは情報収集のツールとしては効率が悪い。テレビは1つのニュースを知るために、頻繁にCMが入ることに耐え、それが終わると桜のお花見特集などを乗り越えて、ようやくわずかな時間取り上げられるだけだ。これが新聞などの活字媒体なら、お目当ての記事を探し当て、わずか数秒後に情報を得ることができる。その効率性の差は圧倒的である。

また、テレビは1時間のニュース番組なら、最後まで視聴するのに必ず1時間を要する。だが活字媒体は違う。しっかり読みたいところは入念に読み、興味のない箇所はスピーディーに読み飛ばす事ができる。つまり、自分のお好みのペースで、情報収集の濃度に緩急をつけることが可能というわけだ。

さらにテレビは制作側が恣意的な編集を行い、意図的に真相を曲解する場合もある。これが情報の信頼性について問題視されるということが現実に起きている。人間は視覚からの情報に87%を得ていることから、生物としての人体構造を考慮すると、このような映像メディアによるバイアスからの脱却は容易ではない。

このような動画という媒体の特性上の問題も手伝い、筆者のように元々まったくテレビを視聴しない人は昔から存在していた。それ故にテレビの視聴有無原因について、「視聴者の年齢」が最重要の要因ではないと考えるのである。見る人は見るし、見ない人はみない。それは「テレビだから」と言うより、動画媒体ではなく活字媒体を好む要素が大きいだろう。

テレビ番組は本当につまらなくなったのか

「テレビがつまらなくなったから見なくなったのだ」という意見もある。だが、この手の主張を見るたびに「本当にそうだろうか?」と感じてしまう。

昭和時代なら流れていた番組も、今は放送倫理が強力なため、あまりに刺激的な映像や演出は難しいという事情は否定できない。だが、それは映像コンテンツの面白さは、編集や演出ではなく「情報の質」に宿る。料理の味はコックの腕前で100%決まるのではなく、その素材も大きなファクターを占めている事実からも本質は素材の質にある。近年の4K高画質やCGを駆使した品質の高いドキュメンタリー番組などは、昭和時代のものより優れているとあると感じることも少なくない。

それを体現する事例を取り上げたい。時々、YouTubeにテレビ番組がアップロードされていることがある。すぐに削除されてしまうものもある一方、削除されずに残り続ける場合もある。そしてこうした番組のコメント欄は、大いに盛り上がっていることが少なくない。コメント主は現役でテレビを精力的に楽しんでいると思しき中高年以外にも、中高生や大学生、時には小学生まで熱心に書き込みをして楽しんでいる場合も見られる。

幾星霜を経て、テレビ番組の全てが面白くなってしまったのではないし、その理由が編集や演出の低下でもないと思うのだ。