俳優、映画監督、移動映画館の主宰など、表現者としての枠を超えて多方面で活躍を続ける斎藤工さん。俳優デビュー20年を経て、葛藤や挑戦を繰り返す中で辿り着いた新境地があった。

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そんな斎藤工さんを支える隠れ家とは。その素顔と胸中を語ってもらった。

【プロフィール】俳優 斎藤工
1981年生まれ。2001年にモデル活動を経て俳優デビュー。2023年3月17日より主演作『零落』が公開予定。齊藤工名義で映画監督としても活動しており、弁当を題材にした『FOODLORE: Life in a Box』でアジア映画祭において日本人初の最優秀監督賞を受賞。9月には監督長編最新作『スイート・マイホーム』の公開を控えている。

目次
■デビュー20年を経験して感じる、俳優業の奥深さと残酷さ
■斎藤工が『零落』を演じて向き合った俳優としての誠実さ

■デビュー20年を経験して感じる、俳優業の奥深さと残酷さ

「40代からは、自己完結の先にある広いフェーズを追い求めて」|俳優・斎藤工
(画像=『男の隠れ家デジタル』より引用)

僕が俳優デビューをして20年が過ぎました。俳優という職業を通じてかけがえのない経験をする一方で、キャリアの終わりを自分で決めれない苦しさを時々感じることがあります。例えば、スポーツ選手だと肉体的なピークが目に見えるので引退が明確に決めれると思いますが、俳優はそこが難しい。

その衰えていく様も表現者として時に必要なことだったりもする。そういう意味では、俳優業はめちゃくちゃ深くて苦しくなったりします。だけど、苦しくなることは正解だなと思う自分がいる。残酷だけど、在るべき姿だなと思いますし、それを予防するために常に自分を俯瞰的な目線で見ていたいなと思ってるんです。

僕は好きや嫌いとかで俳優として、飾る部分はありません。とはいえ、お芝居は相手の顔色をちゃんと見て合わせたり、時に欺いたりして、非常に原始的な人間の状態だなとも感じています。運良く自分の存在を感じていただけるような作品に出会った時は、高揚感を感じたり。一方でジェットコースターじゃないですけど、登るってことは降りたり落ちていったりすることだってあります。そんな覚悟を持ちながら、非常に滑らかに見えた奥にある鋭さみたいなものを認識した上で、この職業をやっています。

メリットとデメリットで言うならば、はっきり言ってデメリットのが大きいと思う。いい時は御輿(みこし)を担がれて、何か不祥事を起こすとあっという間に拡散されてしまう。この時代は、貯金残高とは別に失われていくものが多いなって。それが現実ではあると思うんですけど、映画の世界にしがみついてしまっている自分自身をコントロールできない現実もあります。そんなことを思っている時に、『零落』という作品に出会えました。僕は偶然ではない何かを感じていました。

■斎藤工が『零落』を演じて向き合った俳優としての誠実さ

「40代からは、自己完結の先にある広いフェーズを追い求めて」|俳優・斎藤工
(画像=『男の隠れ家デジタル』より引用)

『零落』は人気漫画家がスランプに陥り、世間の好奇の目から逃げるように自暴自棄になって堕落へと向かう物語です。僕は、主人公を演じるために普段見せない自分で挑みました。何故なら、原作者である浅野先生の覚悟というか、自分の内臓みたいなものを見せてくれてるような気持ちになったからです。この作品に向き合うには、自分の内臓を現場に持ち込まないといけない。「ある種の健全さを排除しないと成立しない」と思いながら役と向き合っていたんです。

そういった気持ちで演じていた作品の完成版を見ると、その時の体感が戻ってきました。非常にしんどい時間でしたね。自分が監督した作品以上の客観性が『零落』という映画に対しては持てないのが正直なところ。昨日も取材があるので観たんですけど、やっぱり当時の苦しさが先行しちゃって、「しんどいな」という。壁に打ち当たった人たちが自分の中の内臓と向き合うというか、それが『零落』だったなと思います。

一方で、そうでなきゃこの役割を僕は受け入れなかっただろうなと思う。個人的な想いとしては、表面的な表現だと通用しないなと感じていたことに対して、僕なりに人に見せない部分を捧げる覚悟で挑みました。誰もいない、誰も見てない、共演してる役者さんすら温もりがあるのか、ないのか……。そういう不明瞭な状態でお芝居をするという境地が僕にとっては、映画との向き合い方の一つとして正解ではないですけど、誠実さではあったのかなって思ってますね。