日本法務省は「世界人権宣言」の項目の中で、「世界人権宣言は、基本的人権尊重の原則を定めたものであり、それ自体が法的拘束力を持つものではないが、初めて人権の保障を国際的にうたった画期的なものだ」とその意義と価値を明記している。

「世界人権宣言」の精神、それを監視する機関は整ったが、それでは過去75年間で世界の人権状況は改善されただろうか。特別報告者が人権問題を調査し、人権理事会は加盟国全ての人権状況を定期的に審査する「普遍的・定期的審査」(UPR)制度などが出来ている。その一方、独裁国家では人権弾圧が堂々と行われ、国際社会の追及には「内部干渉」という理由で反論するといった状況が続いてきた。例えば、中国共産党政権は新疆ウイグル自治区の少数民族ウイグル人への人権弾圧問題が人権理事会でテーマとならないように加盟国に圧力をかけている。実際、国連人権理事会では昨年10月6日、ウイグル自治区での人権侵害問題に関する討論開催の是非を問う欧米主導の動議が反対多数で否決された。

トゥルク国連人権高等弁務官は「世界人権宣言」を「奇跡の文書」と呼んだという。確かに、そうかもしれないが、21世紀の現実の世界情勢をみると、残念ながら世界至る所で人権が蹂躙されている。ロシアのプーチン大統領はウクライナを兄弟国と言いながら、ウクライナに軍事侵攻し、民間人を恣意的に殺害し、人間が生きていくうえで不可欠なインフラを破壊している。東方正教会のコンスタンティヌープル総主教、バルソロメオス1世は、「ウクライナに対するロシアの戦争を即時終結すべきだ。この『フラトリサイド戦争』(兄弟戦争)は人間の尊厳を損ない、慈善の戒めに違反している」と述べているほどだ。

人類は有史以来、絶えず争い、殺しあってきた。兄カインが弟アベルを殺して以来、歴史は「兄弟戦争」を繰り返してきた。兄弟同士の争いの場合、その争いを止めることができるのは普通、家庭では「親」だ。現実の戦争の場合、停戦、和解への調停者、仲介者が出てくる。時には国連が乗り出す。いずれにしても、兄弟争いをストップさせるためには、双方の立場を理解して、説得できる中立の調停者が必要となる。

兄弟争いに別の兄弟が入ってきて、「兄貴が正しい」とか「弟が間違っている」と言い出せば、争いは広がる。同じように、紛争の一方の利益を支持する中立性のない調停役がちょっかいを出すならば、解決する紛争も解決できなくなる。

「人権」は基本的には兄弟間の争いをやめさせ、公平で平等に生きていくための約束事だ。その人権が遵守されず、争いがエスカレーションする場合、家庭でも戦争でも、親(のような調停者)の登場が願われる。換言すれば、「親探し」が急務となってくる。「親の不在」こそが紛争解決を妨げる大きな原因となるからだ。同時に、「親権」の復帰が願われるのだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年3月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。