腹が減っては戦ができぬ、というほどですから戦場には絶対必要となる食料。
もちろん、戦国時代に行われていた合戦でも必要なものの一つでした。
では、戦国時代の戦場では実際に何を食していたのか、どうやって食事を用意していたのかを解説します!
最初の3日の食事は自前

合戦に赴く際、兵士は自分たちで食事を用意する必要がありました。
自分の食事を用意しないといけない
出兵が決まると最初にしないといけないのは、戦地に赴くまでの食事です。
なんとこの食事、各自が自腹でなんと3日分用意するのがしきたりになっていました。
そのため、腹や腰に巻くことで携行できる食料、「腰兵糧」を用意がまずは何より必要でした。
4日目以降は大名側が食事を支給

3日分は各自で用意する、となると4日目以降の食事をどうしていたのでしょうか。
これは大名など兵士を徴収した側で用意する必要がありました。
水一升、米六合、塩が一勺、味噌が二勺、これが1人当たりの1日の支給内容だったとされています。
この量を率いる軍全員分毎日用意するというのは簡単ではなかったでしょう。
実際、支給する兵糧を用意するのは大変だったようですが、用意する方法はいくつかありました。
現地調達
食料不足で挙兵した際や備蓄の不足の場合は現地調達することになります。
この現地調達にもいくつか種類があり、米など必要なものを商人から買う、現地の田畑から強奪・略奪する方法です。
狼藉とも呼ばれる強奪行為については後の治世に影響があるため、次第に現地調達をしない方法も取られていきます。
しかし、乱妨取りと呼ばれるこの強奪行為は戦国時代の終焉とされる大坂夏の陣でも行われています。
押し買い
現地調達の中で、今では聞くことのない単語があります。
それは「押し買い」です。
これは押し売りの逆で、相手が売りたくない価格であるにもかかわらず、武力を背景に安値で買いたたくことです。
現地調達の時代、合戦になる現地では皆が米などを買い求めるのですから当然高騰していきます。
それを無理矢理安価で買おうというのですから恐ろしいですね。
歯向かうと命を取られるかもしれない、というのが更に恐ろしいです。
自領からの補給
戦国時代の後半ごろになると、生き残っている勢力のひとつひとつが大きくなっていきました。
戦時中でも安全に使える補給路が確保できるようになった事や組織化が進んだことで、現地調達だけでは無く補給による支給も行われるようになりました。
兵士の数も数百から千という時代から万単位へと桁が変わりました。
そうすると現地で調達しようにも、必要数が確保できるか分からず、確保できなかった場合は全軍自滅することになります。
そこで、リスクの低い補給による支給が広まっていった・・・のかもしれません。
用意してもまとめて支給できない
現地調達する、補給路を通じて支給品を兵士に渡すといってもまとめて支給して効率化するというのはできませんでした。
なぜなら、後先考えずに支給された米を酒などに交換してしまうというのがよくあったからです。
酒に交換されては戦が始まっても酔っぱらっているか、飲んでばかりなので空腹でまともに働くことなどできない、という結末が分かり切っています。
そんな兵士が大量に出ては戦いになりませんので、手間とコストがかかっても数日おきに支給していたそうです。