主君の心配事を一瞬で払拭した逸話

関ヶ原の戦いで、石田三成側の西軍に付いた立花宗茂は、領地を没収され浪人暮らしとなりました。
浪人となった立花宗茂は江戸幕府の将軍、徳川秀忠の家臣となり、10年後に大坂の陣を徳川家の家臣として迎えました。
その頃の逸話です。
自分の過去を偽らない潔さ
大阪冬の陣が本格化する直前、豊臣恩顧といわれる大名が豊臣軍に付くという噂が、様々なところで立っていました。
これにはさすがの徳川秀忠も裏切りを心配して、立花宗茂に相談しました。
「豊臣恩顧の大名が大阪方に寝返るという噂が広がっているが、そういった者は出てくるだろうか?」と徳川秀忠が尋ねると、立花宗茂は「出てきません!」ときっぱり断言しました。
なぜそのようなことが言えるのかと聞かれれば、
「大友家の家臣に過ぎなかった自分を大名として取り立てられた私ほど、豊臣家から恩義を受けた者はおりません。
もし大阪方に内応しようと考えている者がいるならば、必ず私に一度相談なり、一緒に裏切ろうと話を持ち掛けてくるでしょう。」
「ところが今の今までそのような不届き者は一人もおりませんでした。
そのようなものがいたら、刺し違える覚悟でその者を処断し、秀忠様への恩義を返す時と思っていましたが、今の今でも誰も来ていないのですから、大坂の豊臣方とつながっている裏切り者はいない。
そう考えてよろしいと思います。」
「もし私が誰かと刺し違えて死んだ時は、その時は裏切り者は出たが消された、と思ってご安心下さい」とも答えました。
自分は元々豊臣恩顧の大名だった。
しかし今は徳川秀忠に仕えており、裏切ろうと考えている者がいればその人物を許さない、とはっきり述べています。
この誠実な答えを聞いて、徳川秀忠は安堵したそうです。
信頼があった為人づてに徳川家臣に
元々、豊臣家臣であった立花宗茂ですが、関ヶ原の戦いで西軍が敗れた際、領地を奪われ浪人となりました。
その際、加藤清正(かとうきよまさ)や福島正則(ふくしままさのり)といった旧知の人物の縁を頼りに江戸まで来ました。
非常に誠実な人物という事は広く知られていたこともあって加藤清正や福島正則以外にも、様々な人が立花宗茂に力を貸してくれたといいます。
やはり、人間ができていると困ったときに周りから力を貸してもらえるようですね!
まとめ
立花宗茂の伝わっている逸話では、家臣への公平さと強い信頼、恩義に対しての誠実さと律儀な性格がよくわかるものとなっていました。
武名に優れ、人格にも優れた立花宗茂だからこそ、豊臣秀吉に西国無双と評価されるほど活躍をしたのではないでしょうか!
提供元・FUNDO
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