立花宗茂は戦国時代の終わりに、九州で活躍した戦国武将です。
東の本多忠勝、西の立花宗茂といわれるほど武名を若いころから上げていました。
しかも立花宗茂は強いだけの人物ではなく、周りの人から愛される人格者でもありました。
伝わっている逸話も、立花宗茂がいかに誠実に人に接してきていたかが分かるものなんですよ!
立花宗茂の兵法の極意

立花宗茂は、豊臣秀吉から「西国無双」と西日本で一番の武将と高い評価を受けていました。
その立花宗茂が兵をうまく使う極意を他の武将たちが聞き出そうとしたときの逸話です。
特に変わったことはしていない
その極意について尋ねられた立花宗茂の返事は以下のようなものでした。
「特別に何流といったすごい軍法を使う必要はありません。
兵士に対しては誰であろうとえこひいきすることなく、慈悲を忘れず、違反した常には者は誰であろうと法に照らし合わせて適切に処罰をする。
常日頃からしっかり対応していれば、合戦の際、兵が誰かに対して不平の心を抱いていることもありません。
そうすれば全員が命がけで戦ってくれるので、結果自分の功績が挙がるのです。
他になにかいい方法なんて言うものはありません。」
日頃からえこひいきをしないで、みんなに対して公平に接し、法に反すれたものが誰だろうとしっかり対応する。
そうすれば全員自分の言葉に従ってくれる、横着しようとしても無駄で、この方法以外に家臣が従ってくれる方法なんてないというのが立花宗茂の考えだったようです。
その誠実さがよく分かる言葉ですね。
立花宗茂治の国を治める肝

鎌倉時代から続く名門の細川氏の当主で、猛将としても名をはせていた細川忠興(ほそかわただおき)が、立花宗茂は国を治めるのに苦労したことが無いと聞きつけ、その秘訣を尋ねた時の逸話です。
隠し事なんてしない
秘訣を聞かれた立花宗茂が返した答えは「別に、これといった秘訣なんてありません。」というものでした。
さらに「家臣には何一つ隠し立てはありあません。
普通妻にしか知らないようなことも、当家では全ての家臣は知っているはずです。
だからこそ家臣は全員私を信じてくれているし、家臣が自分を裏切ることもありません。
結果、自領は何の問題もなく治めることができます。」と続けたのです。
自分も家臣を信じている
家臣に何も隠し立ては無い。
その為信用されていると言ったうえで、立花宗茂はさらに言葉を続けます。
「家臣が自分を信じてくれているように、自分も家臣全員を信じています。
そのため、家臣に対して監視役を付けて何をしているか監視したことはありません。
譜代の家臣も、たとえ新参者だろうと全員が自分の妻だと思って接しています。」
下剋上の時代は過ぎたとは言え、まだ隙を見せていい時代ではありませんでした。
それでも隠し立てを何もせず、家臣全員を妻のように大切に思うことで立花宗茂は信頼を築き上げていたようですね!