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政策提言委員・経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員 藤谷 昌敏

かつて1980年代、半導体は日本の代表的な産業の1つであり、世界シェアの50.3%を占めていたが、今では10%程度のシェアに落ち込んでいる。なぜ、日本の半導体産業は、これほど凋落したのだろうか。

その原因はいくつかあるが、第一は、当時、日本の急激な経済成長がアメリカ政府と企業を慌てさせ、アメリカ政府は安全保障上の脅威という名の下に、対日半導体報復措置という強硬手段に踏み切った。アメリカ政府は、1986年、日本に半導体の輸入を倍にするよう義務付け、アメリカの製品を買うことを要求した日米半導体協定を半ば強引に日本に認めさせた。

第二に、1990年代後半にパソコンが急激に普及した時、パソコンに特化した安価な半導体開発で遅れをとった。日本は総合電機メーカーの一部門が半導体を製造していたことから、後発メーカーのような巨額投資ができなかった。

第三に、中国や韓国の半導体企業が日本の技術者を高額で引き抜き、半導体技術を自社に移転させ、大きく成長した。

こうした事態に日本も半導体産業のテコ入れを図り、1999年に日本電気(NEC)と日立製作所のDRAM事業部門を統合してNEC日立メモリ株式会社が設立され、翌年エルピーダメモリ株式会社に商号変更した。2003年には三菱電機のDRAM事業も譲渡され、事実上日本を代表する3つの電機メーカーのDRAM事業が統合されて、世界で第3位の規模となるメーカーとなった。

だが、DRAM分野における国際競争力の激化により、半導体製造のための設備投資に多額の資金が必要となり、公募増資や新規借入、社債発行、日本政策投資銀行からの300億円の出資、メガバンク3行などによる1,100億円の協調融資も受けるなどしたが、製造コスト高に加えて、円高やDRAM需要の低迷に伴い製品の価格が下落したことが引き金となって業績が悪化し、最終的な負債総額は4,480億3,300万円となった。

エルピーダメモリは、2012年、東京地方裁判所に会社更生法適用申請を行ない、2013年7月にはアメリカのマイクロン・テクノロジー社の完全子会社となった。日本の半導体産業戦略は見事に失敗したのだ。

半導体産業復活を図る日本政府

2021年6月、経済産業省は日本の半導体産業復活に向けて戦略をまとめた。2,000億円の「ポスト5G基金」や2兆円の「グリーンイノベーション基金」など、前例がない大規模な施策を含んでいる。経済産業省の戦略は、3つの柱から成っている。

① 日本における最先端のロジック半導体の製造を復活させなければならない。世界的な半導体製造装置メーカーが揃っている日本だが、外国の半導体受託製造会社(ファンドリー)に左右される現状では、その地位が不安定化する恐れがある。現在、自動車、電化製品などは線幅30~40ナノ程度の半導体が使われているが、将来のIoT社会を視野に入れれば、線幅2ナノレベルのものは必要だ。

② メモリーやセンサー、パワー半導体など、ロジック半導体以外の多様な半導体の生産力を確保する。今でも国際的に大きな影響力を持つ半導体関連の日本企業の強みをさらに伸ばすため、研究開発や設備投資を一層強化する。

③ 今、日本が強みとしている製造装置や素材の分野をさらに磨き、国際競争力を高める。

そして、経済産業省は、それらの戦略を具体化するために「台湾のTSMCの日本誘致」「半導体新会社ラピダスの立ち上げ」の2つの方策を実行する。