思いがけない間柄になってから、ある日外務省に呼ばれてゆくと、あのひと[蓮見]は気さくな口調で「ウイスキーがあるのよ、もってゆく?」と聞いたんです。上司へきたお歳暮がだぶついていて、そのお裾分けだといっていました。ジョニイ・ウォーカーの黒ラベルで、当時はいまよりずっと高級品でした。
男がそそのかしたのではなく、そそのかされるような状況、そして呼び出しては会いつづけるつなぎのように贈りものをする。私も若かったんですね。西山さんの場合どうだったか知りませんが、それが秘密文書だったということも言えるんじゃないですか。
渡辺恒雄も「西山君が帰宅しようとする蓮見事務官を自社の車で送ったところ、彼女が「飲みたい」と言い、したたか酔った段階で「一休みしましょう」と連れ込み宿に誘い入れた」と書いている。誘惑したのは蓮見のほうだったのだ。
西山もNHKのインタビューに、こう答えている。
私からくれくれ言ったわけではない。自発的に持ってきて、見せてくれたわけ。私は彼女に事態の説明をちょっとした。彼女はそれを聞いていただけ。資料を持ってこいとか強要したということは1回もない。ないけども向こうから進んで持ってきた。それまで多くの特ダネを取っていたが、電信文をみたことは初めてだった。
その中に問題の密約があったが、それは国家機密ではなかった。沖縄返還に当たって日本側が3億2000万ドルの費用を出すことは沖縄返還協定に書かれており、その中に問題の土地復元費用400万ドルも含まれていた。この点は最高裁も認めたが、日本側から文書が出ることは外交交渉を進める障害になるとした。
門田氏のいう週刊新潮の記事は、この最高裁判決の前に(すでに執行猶予になった)蓮見が、離婚協議を有利に進めるために自分を被害者に仕立てたものだ。そこでは法廷の供述から一転して意に反して西山に性交を迫られたように書いているが、これは慰安婦デマと同じ嘘である。
外務省は密約を隠蔽して検察は問題を肉体関係にすり替えたこの判決は、いま読んでも意味不明である。肉体関係の事実認定のコアの部分では、こう書いている。
被告人は、当初から秘密文書を入手するための手段として利用する意図で右Bと肉体関係を持ち、同女が右関係のため被告人の依頼を拒み難い心理状態に陥つたことに乗じて秘密文書を持ち出させたが、同女を利用する必要がなくなるや、同女との右関係を消滅させその後は同女を顧みなくなつたものであつて、取材対象者であるBの個人としての人格の尊厳を著しく蹂躙したものといわざるをえず、このような被告人の取材行為は、その手段・方法において法秩序全体の精神に照らし社会観念上、到底是認することのできない不相当なものであるから、正当な取材活動の範囲を逸脱しているものというべきである。
「人格の尊厳を著しく蹂躙した」理由が「同女を利用する必要がなくなるや、同女との右関係を消滅させその後は同女を顧みなくなつた」というのは、安っぽいメロドラマみたいな話だが、これしか理由は書いてないのだ。
その理由は明白である。検察が国会で密約が問題になった1972年3月28日からわずか1週間後に西山と蓮見が逮捕され、半月後に「ひそかに情を通じ」という起訴状が出たのは、この密約を隠蔽するための国策捜査だったからだ。当時の特捜検事、佐藤道夫は「マスコミに痛い目にあわせてやれ」という思いからこの異例の表現を加えたが、その大きな反響に驚いたという。
この訴訟は第1審(東京地裁)では蓮見は有罪、西山は無罪となったが、第2審で西山は有罪となり、最高裁は上告を棄却した。公務員への取材を機密漏洩のそそのかしとして有罪にすることはきわめて重大だったが、判決はほとんど根拠を示していない。密約から目をそらせるという目的はすでに達していたからだ。
外務省は一貫して密約の存在を否定したが、2009年に民主党政権の調査で密約が存在したことが明らかになった。しかし人々の脳裏に焼きついたセックス・スキャンダルの印象は今も残り、日米関係の歴史をゆがめている。
あとは微妙な問題もあるので、アゴラサロンで。