「日本人の国際化」は私にとって40年以上のテーマと先日申し上げましたが、では、何が何でも誰もが国際化せよ、などとは毛頭思っていません。興味がない人にそれを押し付けてもそれは苦痛以外の何物でもありません。ただ、訪日外国人が増えてくる中で地方を含め、「外国人の影響」と「外国人への抵抗感の薄れ」は年月を経れば必ず起きるものです。その中で覚醒した人が海外に興味を持ってもらえればよいと思います。

ハーバード大学のキャンパス(海外留学のイメージ) janniswerner/iStock
日本で英語の外部検定と言えば英検とTOEFL、TOEICではないかと思います。カナダでその話をしても最近では通じないことすらあります。TOEFL、TOEICはアメリカが生んだ方式なのですが、現在、カナダでは圧倒的基準が英国で生まれたIELTS(アイエルツと発音)になります。例えば非ネイティブの方が特定の職業に就く場合、資格試験や技能試験の前にこの英語試験の結果が最低点をクリアしているかで判断されます。看護師や不動産取引免許など多種多様の職業や大学入学で要求されます。
このIELTSの試験は「読む書く聞く話す」の4要素でありますが、面接は人がやります。機械試験のTOEFLと違い、手間暇がかかっています。よって受験料も日本でも26000円程度と高いです。また、就職や入学資格取得の場合、4要素全部で一定ポイントを取らねばならず、一つでも落とすとアウトになります。日本人にはこれが厳しく、泣く泣くカナダでの仕事をギブアップするケースも多々あります。
日本やカナダで日本人の英語力の話は非日本人との会話でしばしば話題にあがります。特に私の場合、日本で運営するシェアハウスやサービスアパートメントの顧客に多数の外国人を抱えていますのでその人たちの日本での英語能力の実感話は良く聞こえてくるのです。それは概ね「日本人、英語、ダメネェ、ツウジナイデス」。なぜ通じないかは今日のテーマではないので触れませんが、日本にいる外国人にすら通じない英語なら海外に於いて一生懸命聞こうとする気がないローカルの方に英語が通じるとは信じがたい、これが実態です。
では英語が出来ればよいのか、と言えばこれがまた曲者。英語はあくまでもツールであり、それを使い、彼らの懐に飛び込むにはもっと難解で面倒な文化、風習、宗教観、常識観をある程度理解する必要があります。その上、日本人のように教育レベルが比較的一定しているお国柄と違いますので当地ですら話す相手により微妙にそのあたりの違いも感じ取る必要があります。これを理解し、相手とシームレスな会話環境を作るには10年経っても学ぶところは多いと感じることでしょう。
ところで駐在員は本当に英語が出来るのか、と言えば私の経験も含めていえば相手に立場的にForceするケースが多く、議論がどれぐらいできるのかはなかなか難しいところです。「本社の意向だから」「会社の決まりだから」の一点張りでローカルと何か議論しながら落としどころを探るケースは果たしてどれぐらいあるのでしょうか?