また、社会的評価を低下させることを公にしても、「事実の指摘」がなければ、名誉棄損罪には該当しない。個人の自尊心やプライドなどの「名誉感情」が傷つけられた場合には、侮辱罪が成立するにとどまる。

刑法230条の2で「公共の利害に関する場合の特例」が規定されており、

前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

とされ、同条2項で、

前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。

とされている。

名誉毀損の要件に該当しても、公共の利害に関する事実で、公益を図る目的で、真実であると認める理由がある場合には、違法性が阻却され、名誉毀損罪は成立しない。そして、起訴されていない犯罪行為を摘示した場合は、「公共の利害に関する事実」とみなされるので、「真実であることの証明」があれば、処罰されない。

籠池氏についての安倍氏発言の「真実性」

回顧録で、森友学園元理事長の籠池泰典氏に関して、名誉棄損に該当する疑いがあるのは以下の記述である(252頁)。

理事長(籠池泰典氏)は独特な人ですよね。私はお金を渡していませんが、もらったと言い張っていました。その後、息子さんが、私や昭恵との100万円授受を否定しています。この話が虚偽だったことは明確でしょう。理事長は野党に唆されて、つい「もらった」と口走ったんでしょ。理事長夫妻はその後、国や大阪府などの補助金を騙し取ったとして詐欺などの罪に問われました。もう、私と理事長のどちらに問題があるのかは、明白でしょう。

この記述は、一次的には、安倍氏が、橋本氏らのインタビューでそのような発言をした、ということを内容とするものであるが、それによって、籠池氏の社会的評価を低下させる具体的事実を指摘したと認められれば、籠池氏に対する「名誉棄損」に該当することになる。同記述で書かれているのは、泰典氏が「(100万円を、安倍氏ないし安倍昭恵氏から)もらったと言い張った」という事実、そして、その話が「虚偽だった」ということである。

籠池氏が「もらったと言い張った」場は、最終的には、2017年3月23日の衆参両院の予算委員会での証人喚問の場である。つまり、国会の証人喚問で宣誓の上、100万円授受について、「虚偽の証言」を行ったとの「籠池氏の犯罪事実」を摘示した、ということである。

そこで、問題となるのが、真実性が認められるか、真実だと信じることに相当の理由があったと認められるか、である。

回顧録では、この点について、安倍氏が

(籠池氏の)息子さんが、私や昭恵との100万円授受を否定しています。この話が虚偽だったことは明確でしょう。

と述べたとされている。この「息子さん」というのは籠池氏の長男の佳茂氏のことだと思われる。同氏が100万円授受話を否定しているので、泰典氏の100万円授受話が虚偽だったことが明確になったとの趣旨である。

少なくとも、「泰典氏が100万円をもらったと言い張ったのが虚偽だった」と同書で示されている根拠は、「佳茂氏が、私や昭恵との100万円授受を否定している」ということだけである。

では、この「佳茂氏が100万円授受を否定している」というのは、事実なのか。

森友学園問題が表面化した当初、両親の籠池夫妻を支える立場で共に行動していた佳茂氏は、夫妻が詐欺罪で逮捕・起訴された後の2018年秋頃から、花田紀凱氏、小川榮太郎氏などの、安倍氏に近い言論人に接近するようになった。

そして、佳茂氏は、2019年9月24日に、以下のようなツイートを投稿し、その直後に、安倍氏批判に転じた泰典氏夫妻を批判する『籠池家を囲むこんな人たち』と題する同氏の著書が公刊された。

一番、森友学園騒動が盛り上がったのは、寄付金100万円の問題ですね。2017年3月15日、父がメディアに向けて昭恵夫人から寄付金100万円を受け取ったとの発言をしたのですが、この発言をしろと言ったのは菅野完です。捏造であり、報道テロです。

ツイートでは「捏造」という言葉を用いているが、著書では、その点については、以下のように書いている。

今となっては、それがあったかなかったかどちらでもいいような状態です。別に法的に問題があるわけではないし、むしろそれが寄付であるなら、それはそれできれいな話です。

しかし、この100万円授受話の真相は、菅野完から言われたシナリオ通りの話を3月15日の小学院の中で私が父に耳打ちし、敢行されたものだったのです。そういう意味では父は、言われたことをしたまでであり、何らの落ち度もありません。

要するに、泰典氏が100万円寄付の話を公言したのは、菅野完氏の指示にしたがったものだと言っているだけで、「100万円授受の事実」がなかったとか、創作だったと言っているわけではない。むしろ、「それが寄付であるなら、それはそれできれいな話です。」と書いていること、父の籠池氏について「何らの落ち度もありません。」などと、泰典氏が100万円授受の証言をしたことには問題はないという趣旨のことも言っているのであり、100万円授受の事実自体はあったことを前提にしているようにも思える。

佳茂氏は、この著書の公刊後、菅野完氏から、上記投稿と著書について名誉棄損による損害賠償請求訴訟を起こされ、敗訴が確定している。

その訴訟で、被告佳茂氏は、「被告の認否」で、「100万円授受」については「真偽不明である」としている。つまり、佳茂氏は、ツイートで「捏造」というインパクトのある言葉を使用しただけで、「100万円授受話」の真偽についてはわからないということなのである。

また、「籠池泰典氏が、100万円の寄付の話を公言したのは、菅野完氏に指示にしたがったもの」という点についても、菅野氏が上記訴訟で、そのような事実はないと主張したのに対して、佳茂氏側は、泰典氏の発言内容についての証拠を提出したようだが、判決は、このような佳茂氏側の主張は認められないとした上、同証拠についても

原告が訴外泰典のメディア対応を仕切って、対応する相手を管理していたこと、訴外泰典の自宅に原告に近しいマスコミ関係者が寝泊まりするようになって、訴外泰典の言動を記事にしていった記載があるに過ぎず、上記指示を受けた旨の記載はない。

と判示している。

要するに、佳茂氏が100万円授受を否定した事実はない。安倍氏が、「息子さんが100万円授受を否定し、籠池氏の話が虚偽だったことは明確になった」と認識していたとすれば、誤解である。

回顧録で、このような安倍氏の発言を掲載することは、「泰典氏が100万円をもらったと言い張ったのが虚偽だった」との事実を摘示し、しかも、その事実を、「籠池氏の息子が100万円授受を否定した」という存在しない事実によって、あたかも真実であるかのように見せかけようとしたということになる。単に、社会的評価を低下させる事実を摘示するより、一層悪質・重大な名誉棄損行為だと言える。

回顧録の中に、このような安倍氏の発言を記載するのであれば、「佳茂氏は100万円授受を否定していないことは、訴訟上も明らかになっているので、この安倍晋三氏の発言は誤解によるものです」との注記を付すことが最低限必要だった。

しかし、同回顧録には、そのような注記は全く記載されていない。