2023年2月上旬に、中央公論新社から、『安倍晋三回顧録』が出版された(以下、「回顧録」)。2022年7月8日に、参議院選挙の街頭演説中に銃撃されて死亡した安倍晋三氏が、首相退任後の2020年10月から2021年10月までの間に、読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏と尾山宏論説副委員長の18回にわたるインタビューで語っていた内容を、安倍晋三氏自身の著書として公刊したとのことだ。
発売後、新聞、テレビ等で紹介されるなどして大きな話題になっており、Amazonでは書籍全体のベストセラー1位を続け、既に4刷5万部の重版が決定され、部数は累計で15万部に上るとされている。
橋本氏は、同書の序文で、
安倍さんの回顧録は歴史の法廷に提出する安倍晋三の陳述書でもあるのです。
と述べている。史上最長の首相在任期間の間に、それまでの首相がなし得なかった、国家安全保障会議の設置、武器の禁輸見直し、集団的自衛権の容認、特定秘密保護法、共謀罪法の制定など国民の間で賛否が分かれる多くの問題について業績を残したことを考えれば、安倍氏の肉声の記録としての回顧録を出版することの意義は大きいと言えよう。
しかし、同書中の籠池泰典氏に関する記述には、刑事上・民事上の名誉棄損に該当する可能性があることを、2月15日に「論座」Web版で公開した『話題の書『安倍晋三 回顧録』の籠池泰典氏に関する記述は、名誉棄損に当たる可能性がある』で指摘している。今後の重版分について、このような指摘を受けた上での出版ということになると、内容の「虚偽性」についての認識も明確になるので、刑法の名誉棄損罪による処罰も現実的な問題となる。
刑法の規定を踏まえて、同罪の成否について具体的に検討してみることとしたい。

森友問題で判決を受けた籠池夫妻(当時)NHKより
刑法230条は、1項で
公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
と規定し、2項で、
死者の名誉を毀損した者は、虚偽の事実を摘示することによってした場合でなければ、罰しない。
としている。
同条2項は、「死者に対する名誉棄損」についての規定であり、「死者を主体とする名誉棄損」ではない。死者は行為をなし得ないのであるから当然である。
しかし、このように、社会的影響力の大きい死者の発言を内容とする公刊を行う場合、その内容によって他者の名誉を棄損することがないよう、すなわち、「死者の発言」公表による名誉棄損に当たることがないよう、十分な注意が必要であることは言うまでもない。故人の発言を内容とする出版については、名誉棄損の内容を認識して出版を判断した者が法的責任を負うことになる。
そこでまず、刑法の名誉棄損罪の一般的な要件について確認しておこう。
名誉棄損罪における「名誉」とは、人が社会から受ける一般的評価である。その「社会的評価」を低下させる行為が「名誉棄損」である。厳しい批判をしても、それが「批評」や「論評」にとどまるのであれば、「表現の自由(言論の自由)」の範囲内なので、刑事処罰の対象とはならない。