紀要は大学の学部等の顔としての意義があるとの声もあるが、こうした意義もない。研究者がある大学の学部等の研究水準を外形的な情報だけから推し量る際、所属教員がランクの高い査読誌等に論文を掲載しているかや引用数の多い論文を書いているかで判断する。紀要論文でそのような判断をすることはないし、むしろ紀要論文の比率が高ければマイナスの印象を持つだろう。

また、紀要の発行には様々なコストが伴う。編集委員が原稿をチェックする手間をかけている場合もある。紀要の印刷は当然紙を消費することにもなる。各大学の学部等は紀要を交換しており、図書館の書庫の一角を様々な大学の学部等の紀要が占めている。

以上のようなことから紀要は廃刊するべきである。文部科学省が補助金によって紀要の廃刊を誘導することも方法の1つとして考えられる。しかし学問の自由の観点から、各大学の学部等が自発的に廃刊を決定するのが望ましいだろう。学問の自由が保証されているがゆえに自らを律するべきだろう。

誤解のないように付け加えると、紀要論文が、紀要に掲載されているという理由だけで無価値だと言っているわけではない。質の高い論文も紀要に掲載されている。むしろ質の高い論文が紀要に掲載されているということで、過小評価される可能性に注意を払うべきであろう。

紀要を廃刊しても、質の高い論文は掲載基準の高い査読誌等に掲載されるであろうから、紀要の廃刊によって質の高い論文を紀要ゆえの過小評価から救い出すことができる。

川森 智彦 名城大学経済学部教授。東京大学学士・修士・博士(経済学)。専門はゲーム理論。詳しい経歴はこちら。