また、「事業目的に照らし、ルールに則ったプロセスを経て決定された」ともいったそうだが、正しくは「ルールの趣旨を踏まえ公正に設定された手法に基づき、公正なプロセスを経て決定された」だ(同)。そしてその公正さが十分な情報の開示によって担保されているから問題ない、といえるのである。
入札が透明と思われているのは、その過程、手続、結果が公開されているからだ。だから入札が公正、公平に実施されているかが外部の目に晒される。随意契約も同様で、その過程、手続、結果が十分に公開されているのであればそれは透明、ということになる。
しかし随意契約、特に特命随意契約の場合、十分な情報公開がなされないことがある。「今後の調達活動に支障をきたす」というのが、発注機関が情報公開を拒む際の「テンプレート」だ。そういう調子だから、随意契約は不透明で競争入札は透明、という構図が作られてしまう。
五輪談合事件では、形だけ透明であるかのような競争入札が採用されていながら、その実、不透明に調整が行われていた。仮に随意契約であったとしてもその調整は不透明になされていたとは思うが、この事件は組織委が透明性の確保という体裁に拘ったが故に(結果的に)引き起こされたものと評価することもできる。
調整に関与した当事者が独占禁止法違反の可能性をどれだけ認識していたかは定かではないが、競争入札が採用されながらもそれとは異なる調整が続けられてきた事実に対して何らの問題意識も抱かなかったのだろうか。
公共契約の場合、手続の決定が先行するはず(そうでもないケースの存在は否定しないが)なのでそのような問題は生じにくいが、民間契約でかつ公的色彩が強いこのケースは、調整という実体が先にあり競争という手続が後からくればそれは独占禁止法違反に問われることがある、というコンプライアンス上の注意点を教えてくれる。