だが、その無味乾燥な会話から、いかにユダヤ人の大虐殺という人類史上類を見ない非人道的な政策が官僚的に決定されたことが理解できる。その経緯はまさしく、ナチス全体主義の研究の大家であるハンナ・アーレントが表現した「悪の凡庸さ」を体現しており、体制に盲順した社会がもたらす危険性に警鐘を鳴らす。

ナチスドイツも認識していたホロコーストの残虐性

筆者が劇中で最も驚いたのは、ユダヤ人の大量虐殺という政策がいかにユダヤ人を効率的に殺害するのかという観点からだけではなく、ドイツ軍兵士に与える精神的苦痛を軽減する目的から検討されていたという点だ。

ホロコースト研究の第一人者であるティモシ―・スナイダーの著書「ブラッドランド」によれば、ナチスドイツが組織的なユダヤ人虐殺を開始する以前から占領先や戦地で局地的な迫害が行われていた。

しかし、初期のユダヤ人殺害方法が銃殺という原始的なものであり、処刑人数が一日に何百にも及ぶ場合もあるため、処刑を担当する現場の兵士が良心の呵責を感じ、精神的に病んでいると劇中の会議出席者が報告している。そして、そのような背景から、効率的にユダヤ人が殺害でき、かつ兵士に対する精神的なダメージが小さい、ガス室で毒ガスを用いる処刑方法が導き出される。

ユダヤ人を心底憎み、虐殺をすることに迷いが無かったナチス高官たちでさえ自らの虐殺方法を残虐だと認識していたという描写は、ナチスドイツの非道性を改めて浮き彫りにさせる。

しかし、ヴァンゼ―会議でユダヤ人大量虐殺の倫理性についての検討後も、会議出席者の間でユダヤ人を絶滅させるという基本路線を修正することは全く顧みられていない。それゆえ、ヴァンザー会議でユダヤ人大量殺戮の倫理性が議論されていたことは、ナチスドイツの蛮行に微塵たりとも情状酌量の余地を与えないことを視聴者は留意するべきだ。

「ヒトラーのための虐殺会議」は視聴者のホロコーストの起源に対する理解を一新し、新たな興味をかきたてる作品となるはずだ。映画は長時間の会議が苦手な人にとっては苦痛かもしれないが、視聴者は人類史の汚点となる政策が誕生する瞬間を見逃してはならない。