融資は、お金の話ではなくて、資金使途である実業の話である。住宅ローンは、お金の話ではなくて、住むことの必要性を充足するための一つの選択肢の話である。超低金利のもとで、預金は、お金を貯めるものではなくて、決済手段であり、金庫替りである。生命保険は、お金ではなくて、生活保障である。損害保険は、お金ではなくて、失われたものの填補である。故に、金融の営業で、お金の話をするなかれ。
金融の営業では、夢を語れ。実際、自分の家をもつことは、未だに多くの人の夢であろうから、住宅ローンは、夢の実現を支援するものとして、夢の輝きの反射を受けて光るからこそ、顧客には価値あるものに見えるのである。あからさまにいって、価値は、住宅ローンはおろか、住宅にすら内包されておらず、どこまでも顧客の心のなかに生成されるものだから、見えるものにするためには、夢に投影されるしかないわけだ。

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消費者ローンの多くは、かつては車の購入資金に代表されたように、夢の実現手段だったのである。大衆消費社会の繁栄は、同時に金融の繁栄でもあった。そこでは、明るい未来への展望のもと、商業的に夢がばらまかれ、金融的に夢が購われたのである。特にクレジットカードを媒介にした消費者ローンは、金融の画期的な革新だったわけである。
その大衆消費の構造が崩れてしまった現代社会を象徴するものは、百貨店の衰退である。百貨店は、日常生活に必要なものを買う場所ではなく、非日常な空間として集客し、そこで消費を刺激する大きな仕掛けだったのだが、もう、そうした古臭い仕掛けに引っかかる人もない。消費と金融は表裏一体である。夢に溢れた消費が光を失うとき、影の金融は朧となって消えていく。