ルーズベルト大統領は第二次世界大戦に不介入の立場を取ってきたのですが、これは公約であり、自身の政治活動のため、世論を味方につける重要なポイントでした。ただ、日本嫌いも祟り、どうしても第二次世界大戦で日本と戦わざるを得ない状況に追い込まれ、選挙公約に反する行動の工作をうまく行った、というのが私の理解です。つまり、アメリカは基本的にはよほどのことがない限り戦争に参加するのは難しいのです。その参戦で儲かるとか、多大なるメリットが生じることで国民を説得できなければアメリカは一枚岩にはなかなかないでしょう。

中国は共産党主導の軍拡が進んでいますが、人民は本当に共産党に忠実なのか、自分の命を投げ出してまで戦うのでしょうか?歴史上の中国の内乱を含め、漢民族がそこまで一体化することは私の知る限りあまりなかったように思えます。ましては今日、経済的にはるかに恵まれた時代に育った人たちがそれを捨てて戦争で突然、銃を手にして本当に戦うのか、といえばテレビゲームの世界ではあるまいし、できないだろうと思います。

本当に強い国は飢えている国なのです。どうしても勝たねばならないという意欲がなければ戦争は勝てない、これが歴史です。

北朝鮮がICBM級のミサイルを飛ばし、日本の排他的経済水域に落ちました。バイデン大統領は強い非難の声明を出していますが、それ以上にはなりません。林外務大臣がG7外相会議で同様のG7非難声明を発していますが、それ以上のものでもありません。警告し続け、非難し続け、いつか、実被害が出た時、慌てふためくのでしょう。

それはウクライナを取り巻くNATOをはじめとする「西側連合」に意見のバラツキがあり、何処の国も踏み込めないことも好例です。とすればプーチン氏や金正恩氏のような独裁政権の国にとってやりたい放題とも言えるのです。

なぜ、このような不和が戦後77年も経って起きているのでしょうか?個人的には格差問題に端を発した国民の不満の矛先、うっぷんを紛らわせるための一手段であり、独裁者の保身政策であると考えています。民主主義国家であれば国民の不満は政権交代で実現することができます。が、交代しない、あるいはそれが期待できない国においては独裁者自らが無謀な手段を選ばざるを得ないとも言えます。

逆説的ですが、ロシアや北朝鮮の経済制裁を解いて「昔のように仲良くやりましょう」と言えば収まるのかもしれません。しかし、それでは殺人鬼に「お前の罪はもう問わない」というようなもので誰の賛同も得ることはできません。お互いに引くに引けないところまで追い込まれた、というのが現状であり、前にしか進めず、立ち止まることもできないのが今の情勢だとみています。とすればいつかは最悪な結果をもたらし、何らかの勝負の決着がつくのを待たなくてはいけないのでしょうか?

不安のネタは尽きないということです。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年2月20日の記事より転載させていただきました。