石破茂です。

15日は10年振りに予算委員会の質疑に立ちました。議会で質疑に立つのは有権者から負託を受けた議員の権利であり義務でもあると常々思っているのですが、その機会を久方ぶりに与えていただきました。

形態や内容について随分と懊悩したのですが、与党質問であり、30分という時間的制約がある以上、ご批判は十二分に承知の上で、敢えて質問をまとめ、答弁もまとめていただく形式とした次第です。野党質問ではないので、論破するのが目的では勿論ありませんし、一問一答形式にした場合、総理の丁寧な答弁スタイルでは二~三問に終わってしまうことはほぼ確実でした。

「我々が当面目指すべきは『核のない世界』ではなく『核戦争のない世界』なのであって、これを混同してはならない」

「防衛力整備はあくまで予想される作戦を念頭に置いた統合的なものでなければならず、陸・海・空の要求をホチキスで留めるようなものであってはならない」

「常設的な統合司令部・司令官の創設と国民を守るシェルターの整備は急を要する」

指摘したこれらにつき、総理のみならず国民各位に危機感と問題意識を持っていただけたのなら幸いです。

制服自衛官が議会で答弁にも証言にも立たないことは文民統制の観点からは全く外れるものですし、議会で軍事合理性について議論がほとんどなされないことも極めて異常なことです。

「専守防衛」は政治姿勢ではあっても、軍事的合理性から導き出されたものでは全くないのですが、昭和56年に雑誌のインタビューで専守防衛の困難性を指摘した竹田五郎統幕議長(空将)は事実上解任されました。

その二年前に有事法制の必要性を指摘した栗栖弘臣統幕議長(陸将)もやはり解任されていますが、これこそが文民統制だ、政治に対して制服が発言することは許さない、などと嘯く誤った認識はいつか必ず大きな報いとなって返ってきます。

その報いは「専守防衛」と唱えていればそれで良しとする政治家に対してでもメディアに対してでもなく、国民に返ってくることの恐ろしさを、我々はもっと知るべきです。

アメリカが中国のものと思われる気球を撃墜しましたが、日本において同じ対応は可能なのでしょうか。

自衛隊法第84条(領空侵犯措置)は「防衛大臣は、外国の航空機が国際法規又は航空法その他の法令に違反して我が国の領域の上空に侵入したときは、自衛隊の部隊に対し、これを着陸させ、又は我が国の領域の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることができる」と定めますが、無人の気球は「航空機」なのか、撃墜することは「着陸させ、又は退去させる」ことに該当するのかという、我が国独特の法律上の問題があります。