政争も人道支援より優先順位が高いようだ。今回、国連などが支援をめぐる「党派対立の停止」を呼びかける中、トルコ政権与党は率先して震災を政争の具にした。
震災当日、エルドアンは議会で野党にも発言を求める中、最大野党・共和人民党(CHP)やクルド政党・人民民主党(HDP)の発言を許さず、CHPと連携する「いい党」にのみ発言を許したとされる。また、CHPの陣営に属するいくつかの小政党とも電話会談を行ったということである。つまり、エルドアンは地震が発生した正にその日に、来る5月の選挙に向け野党陣営にくさびを打とうとしたのだ。
被害拡大に一役買ったのが、トルコによる”支援妨害”だ。まずは地震発生から2日後、被災地に「災害に乗じた犯罪を防止するため」とする「非常事態宣言」を発令したが、これが非政府系団体の生存者救出活動を妨げることになった。加えてこれに乗じ、自警団気取りの極右集団が武器を携え被災地を闊歩し、救助活動を行う民間人を萎縮させた。
当初から、多くの国が支援を表明したが、全てを受け入れたわけではなかった。キプロスはトルコの傀儡政府に島の北半分を奪われているにもかかわらず、被災地支援を申し出た。しかし、トルコ政府はこれを拒絶した。ギリシャ、アルメニアといった実質敵国と言える国々が活動をする中での、この決定である。
アメリカは支援物資の空輸を助けるため、空母ジョージHWブッシュの派遣を決めたが、トルコは領海に入ることを拒否した。対立するギリシャへの軍事支援を警戒したと推測されるが、ここまでくると病的である。
トルコによる支援妨害は、内戦下のシリアでより顕著である。現在、メディアが報じる「反体制派」というのは”シリア国民軍”など実質的にトルコの傭兵であり、その支配地域は「トルコ軍支配地域」と呼ぶのがふさわしい。そして被害が大きいのが、そのトルコ軍支配地域だ。
北シリアを統治する自治政府はこうしたトルコ軍支配地域の支援のため物資搬入の許可を求めたが、トルコは傭兵勢力を通じ拒否を続けた。この自治政府はクルド人が主導する民主統一党(PYD)が取り仕切っていることから、拒否反応を示したのである。
ただ、現地人の怒りなどから結局は折れ、13日やっと最初の車列がトルコ支配地域に入ることができた。背後でトルコの頑なな姿勢に業を煮やしたアメリカの圧力があったとも指摘される。自治政府が物資を積んだトラックを手配したのは9日。急を要する災害支援で、4日も空費されたのである。
1976年に中国の北京近郊で発生した唐山地震では、人民が被害に苦しむ中、病床の毛沢東が外国からの支援を”干渉につながる”として拒否した。今回の大震災でも、指導者の妄執が民を殺す歴史が繰り返されている。