しかも「複数の政府・与党幹部が明らかにした」と日経は書きました。「すでに消えていた案」を複数の筋が明らかにすることは不可能でしょう。
3面の詳細な解説には、「昨秋、総裁候補のリストには、学者の名前が並んでいた。植田和男、伊藤隆敏、渡辺務氏らだ」とあり、岸田政権は早い段階で学者に焦点を当てていた。異次元緩和政策を徐々に軌道修正し、市場の動揺に配慮でき、実務も分かる人物を探していた。
では「雨宮総裁説」がなかったというわけではない。「日銀が総裁選びで働きかけていたのは雨宮、中曽宏(前副総裁)、山口広秀(元副総裁)氏だった」と読売は書く。つまり「雨宮総裁」は政府案ではなく、日銀案だったことになる。
その雨宮氏はどういう考えだったのか。「昨年来、自らの名前が取り沙汰されるたびに『自分は適任ではない』と繰り返していた」というのです。日経が書いたような2月の時点で、「最終調整の段階で雨宮氏で調整」、「それを雨宮氏が固辞」は事実に反する。事実だというのなら、日経は検証記事を書いて反論すべきです。
固辞の理由は「自らが手掛けてきた政策を批判的に振り返ることは難しい」、「総裁候補として、雨宮氏は学者3人を推していた」というのです。雨宮氏自身が学者を推したと。
そのこともあって、政府は年末にかけて「学者総裁」へと傾いていったと。つまり、雨宮氏が固辞したかから次の人選をせざるを得なかったのでなかった。日経の説明は事実の流れと違うのではないか。
日経の解説記事(14日)でも、「中央銀行の世界標準は、もはや中銀マンの内部昇格や官界からの登用ではない」との信念が雨宮氏にはあったと、書いています。もはや日銀と財務省のたすき掛け人事(交代人事)の時代でもない。さらに日銀や財務省出身では、政治からの圧力をかわしにくい。正しい考え方だと思います。
異次元金融緩和政策が市場の歪みをもたらし、市場メカニズムが働かなくなり、経済・産業の新陳代謝が停滞してしまっている。アベノミクスの流れは10年にも及び、出口(政策転換)に容易にたどりつけなくなっています。自民党内には、いまだにアベノミクスを神格化する流れがある。
植田氏自身、審議委員をやっているとき、速水総裁時代の大規模緩和、ゼロ金利政策の立案にかかわったそうです。「金融政策には限界があり、長期にわたってはならない、10年国債のような長期金利を対象にすべきではない」との考え方と言われています。
岸田政権は、アベノミクスからの転換をはからなければならない。それには、黒田総裁の伴奏者であった雨宮氏では困る。雨宮氏自身も、歪みが増大している異次元緩和政策の責任を感じ、推されても総裁になる意欲はない。結局、日銀審議委員を7年もやり、金融理論と金融政策に通じた植田氏の力量にかけてみようという結末なのでしょう。
編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2023年2月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログをご覧ください。