つるつるぷるぷるした「ところてん」は、その喉越しが人気の食べ物です。
このところてんにそっくりな食べ物として「寒天」や「くずきり」がありますが・・・、両者はどんな違いがあるのでしょうか。

ここでは、それぞれの歴史や起源についても見ていきましょう。

歴史が古いのは「ところてん」

「ところてん」と「寒天」の違いは一体なに?「葛切り」も違う食べ物なの?
(画像=『FUNDO』より引用)

ところてんと寒天を比較してみると、より歴史が古いのはところてんだと言えます。
寒天はそのところてんから派生して生まれたものなのですが、その歴史について見ていきましょう。

「ところてん」は奈良時代に伝来した?

ところてんの伝来自体は約1500年前、西暦540年頃の仏教伝来の時代だと考えられています。
中国から当時伝承された精進料理として、こんにゃくなどとともに製法が伝えられたとされています。

日本の歴史書に初めて登場するのは、西暦700年頃です。
当時制定された大宝律令・賦役令での貢納品として「心太(ところてん)」という名前が残っていることから、この時代にはすでにところてんがあったとされています。

また、奈良時代の正倉院の木簡に記されている記録によると、御食国と呼ばれる地域から海藻の天草を宮中に送られ、その天草からところてんが作られていたとされています。
特に節気行事に用いる節料として納めされ、当時は宮中で使用されていたそうです。

現在では日常的に食することのできるところてんですが、この時代までは上流階級の食べ物でとても高級品だったのだとか。

「寒天」は江戸時代生まれ

ところてんは江戸時代になる頃には庶民の間食として好まれ、醤油や砂糖をかけて食べるのが人気を博していました。
そして、ところてんが庶民の食べ物として普及した江戸時代に似ている食べ物、寒天が生まれたとされています。

江戸時代前期、現在の京都府京都市伏見区御駕籠町で旅館「美濃屋」の主人が、戸外に捨てられて凍結したところてんが日中に溶けて乾物状になったものを発見しました。

この乾物のようになっていたところてんを試しに水でもどしてみたところ、従来のところてんよりも美しく、天草特有の海藻臭さも無いものとなっていました。
これを名のある僧侶に試食してもらったところ、精進料理の食材として活用できると絶賛され、「寒天」と命名されたとされています。

この話は寒天の起源とする言い伝えとされますが、他にも起源とされる話はありますので諸説ある状態となっています。

「ところてん」と「寒天」の製造方法

「ところてん」と「寒天」の違いは一体なに?「葛切り」も違う食べ物なの?
(画像=『FUNDO』より引用)

ところてんも寒天も原料は同じものだったわけですが、製造方法はそれぞれ違ってきます。
ここからは簡単にはなるものの、それぞれの製造方法についてご紹介します。

材料は同じ

海藻の天草から作られるところてん、そのところてんから派生した寒天も原料は同じです。
この天草という植物、カタカナでテングサと表記されることが多いです。

「ところてん」の製造方法

ところてんは天草を溶けるまで沸騰させ、型に流して冷やし固めることで完成します。

「寒天」の製造方法

寒天は天草を溶けるまで沸騰させ、その煮汁を凍結・乾燥させることで作れます。