目次
ブラジルの金融街の中心、パウリスタ大通り
コーヒー富豪の住宅街からブラジルを代表する金融街へ
ブラジルの金融街の中心、パウリスタ大通り
サンパウロ一の目抜き通り、パウリスタ大通り(Avenida Paulista)。ここはブラジルの金融街の中心でもあり、オフィスビルや美術館などの文化施設が密集しています。南米有数のアートコレクションを誇るサンパウロ美術館(MASP)、IMS文化センター、SESCパウリスタ、そして日本政府のイニシアチブによって昨年5月にオープンしたジャパンハウスもパウリスタ大通りにあります。
コーヒー富豪の住宅街からブラジルを代表する金融街へ
全長2.8キロのこの通りは1891年に開通され、当時はコーヒービジネスで成功した富豪の邸宅が立ち並んでいました。1930年代、サンパウロの発展を目指したジェトゥリオ・ヴァルガス大統領の指揮の下、シカゴの都市部発展プランに倣って、パウリスタ大通りを中心とした都市計画が進められました。1939年にはパウリスタ大通り沿いに最初のビル(7階建だったそうです)が建設されました。1950年代に入ると今度はジュセリーノ・クビチェック大統領が考案した都市計画が進められ、パウリスタ大通りは金融街となり、ブラジル経済において重要な役割を担うことになりました。1972年、サンパウロ市長だったファリア・リマは「新たなパウリスタ(Novo Paulista)」プランを掲げ、街路樹を全て切り倒して車輌の交通量を20,000台から100,000台まで拡大し、今日のパウリスタ大通りの姿が出来上がりました。