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飯盛山で白虎隊の少年たちに想いを馳せる
二重らせん構造がすごい!会津さざえ堂
飯盛山で白虎隊の少年たちに想いを馳せる
鶴ヶ城が激しい攻撃に耐えた戊辰戦争では、白虎隊の悲劇があったことも知られています。
会津の歴史を語るうえでは欠かせない、少年隊士たちが自刃した「飯盛山」にも、まちなか周遊バスで訪れることができます。バス停「飯盛山下」から、山のふもとはすぐそこです。

飯盛山の上まで歩いて登るのはツライ...という方もご心配なく。5分で山の上まで連れて行ってくれる、スロープコンベア(動く坂道)が存在します。料金は1回250円。だんだん遠ざかる市中の景色を見ながら、ほどなく白虎隊士の墓の前に到着します。

戊辰戦争で戦った19人の少年たちが葬られた「白虎隊十九士の墓」は、背後に立つ針葉樹に守られるようにたたずんでいます。筆者が訪れた日も多くの参拝客が訪れており、花々が手向けられていました。今も変わらず多くの人々の胸を打つできごとであることがわかります。


白虎隊十九士の墓の右手へ足を進めると、自刃した隊士の中で唯一生き残った飯沼貞吉の墓があります。喉を突いた後でまだ息があるところを偶然に助けられ、周囲の人々の治療で一命を取り留めた彼の存在によって、白虎隊の悲劇が世に知られることになりました。

貞吉の墓のさらに右側に、「白虎隊自刃の地」があります。炎上する城下を見た隊士たちは「敵に捕らえられて屈辱を受けるよりも、潔く自刃して武士の本分を明らかにするべき」という考えのもと、全員が自刃を決断したといいます。
自刃の地に建てられた、白虎隊士の石像が見つめる南西の方角には、鶴ヶ城の天守が小さく見えています。10代の少年たちがこの景色を見ながら最期に何を思ったのだろう...と、悲しい歴史に想いを馳せずにはいられません。


二重らせん構造がすごい!会津さざえ堂
白虎隊十九士の墓から階段を下り、お土産屋さんの横の道を抜けると、六角三層のお堂の「会津さざえ堂」があります。名前の由来は一目瞭然!
お堂の中は全体がらせんを描くスロープ状の回廊になっており、外観はてっぺんに向かってぐるぐると斜めの屋根が取り巻いています。地面に貝のさざえを立てたような、独特の構造です。


さざえ堂の正式名称は「旧正宗寺三匝堂」。江戸時代中期に建てられた仏堂です。
かつてはスロープ状の回廊に沿って西国三十三観音像が祀られており、参拝者はこのお堂をお参りすることで巡礼を終えたことになるという、民の心に寄り添う身近な巡礼の施設でした。


このスロープ状の回廊は、実は二重らせんになっています。上りと下りが別々の通路になっているため、多くの参拝者がすれ違うことなく、一方通行で安全にお参りできるのがポイント。実際に歩いてみると、この時代にこんな建築物があったなんて!と、その構造の巧みさにビックリします。


さざえ堂を出て、目の前にのびる石の階段を降りると、猪苗代湖から城下に水を引くために開削された「戸ノ口堰」が水音をたてています。その先には、山腹を通ってきた水が流れ出る「戸ノ口堰洞穴」が、ぽっかりと口を開いています。
白虎隊の20人の少年たちは、戸ノ口原の戦いに敗れた後で、この洞穴を潜ってようやく飯盛山へとたどり着いたそうです。「水が流れる中で、こんなに小さい穴の中を...」と、その過酷さに愕然としてしまいます。
その後に燃える城下を見て、自刃に至った少年たちの気持ちを思うと、胸が締め付けられます。

飯盛山
- 住所:福島県会津若松市一箕町八幡
会津さざえ堂
- 住所:福島県会津若松市一箕町八幡滝沢155
- 営業時間:4月-11月: 8:15-日没/12月-3月: 9:00-16:00
- 休日:無休
- 料金:大人 400円 大学・高校生 300円 小学・中学生 200円