まず、以下の記事を読んでほしい。

「公明党の北側一雄中央幹事会会長は9日の記者会見で、『婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立』するとの憲法24条の規定について、『意味があるのは両性ではなく、両性の合意に基づいてのみ(ということだ)』と指摘した。その上で『他者から強制されて婚姻は成立するわけではないとの趣旨だ。同性婚を排除する規定ではないと理解している』と述べた」

ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡が撮影した海王星(2022年9月21日、NASA提供)

ここで憲法論争をするつもりもないし、当方にはその能力はない。ただ、公明党中央幹事会会長の憲法24条に対する解釈はかなり牽強付会ではないかと感じるのだ。「同性婚を排除する規定ではない」ことを主張したいための解釈、といった印象を受けるのだ。

憲法24条を素直に読めば、やはり「憲法24条は両性の合意」という点を前提としたもので、それ以上でもそれ以下でもない。憲法24条が施行された時には、同性婚という問題は政治議題ではなかったし、同性婚を前提に憲法24条が作成されてないのは明らかだ。婚姻は当時、「両性」の間というのが社会の通念であったからだ。

北側中央幹事会会長は「合意に基づいてのみ」の「のみ」に希望を感じ、「憲法24条の趣旨は、『両性』に重点があるのではなく、『両性の合意に基づいてのみ』というフレーズにある」と主張し、「憲法24条は同性婚を排除する規定ではない」という解釈に落ち着いたのだろう。

社会の流れが、同性婚支持に傾いていることもあって、その流れに逆らうことは容易ではないが、同性婚の認知は一過性ではなく、後世にも大きな影響を与える。日本の伝統的な家庭像にも影響が出てくるだろう。それだけに、如何なる政党も時流に押されず、真剣に、時間をかけて検討すべきだ。政治家は党益や次期選挙のことを忘れ、一人の哲学者として「結婚とは」、「家庭の在り方とは」等々を静かに考えるべき時が必要だろう。その意味で、政治家の先生たちには「時には哲学者となれ!」とアピールしたい。

このコラム欄でも書いたばかりだが、人間は生物学的にみて「男」と「女」の2性の存在だ。そして「男」の性の中には、男性的な要素と共に女性的な性質も内包されている。同じように、「女」の性の中にも「男性的な要素が強い女性」がいる。全ての存在は「2性」であると共に、各「性」にその2性的要素が含まれているといえるわけだ。