情報の量がここまで増え、その伝達スピードも早まっているはずなのに、なぜか日本は周回遅れというか、情報が不足しているのではないかと思うことが時々ある。

たとえば、先日、リュッツェラートという村で褐炭の採掘に反対するためのデモが行われ、そこに参加していた環境活動家のグレタ・トゥンベリ氏が拘束されたと、かなり大きく報道されたことも、その一つだ。特に朝日新聞などは1月18日「ドイツの警察、グレタさんの身柄を拘束、炭鉱開発の抗議デモ中に」というタイトルで、あたかも、正当な抗議デモが警察に弾圧されたかのような書き方だったが、事実は全く異なる。

トゥンベリ氏のFridays for future運動はとっくの昔に支持者を失っており、氏には今や当時のカリスマどころか、影響力もない。あれだけ氏を持ち上げていたEUの委員会や国連の気候会議COPも、今や完全に無視。本人も、大学進学を目指して勉学に励んでいると言っている。

1月中旬、リュッツェラートに現れたことについては、ドイツメディアも一応報道はしたが、「身柄拘束」の方はスルーだった(そもそも、あれが「拘束」と言えるのかどうか)。要するに、いまだに「グレタさん」と騒いでいるのは日本のメディアだけだ。世界にはもっと重要、かつ深刻な事件が山ほどあるのに、朝日はなぜ、こんなつまらないニュースを取り上げるのか?

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順を追って説明したい。まず、リュッツェラートというのは、ノートライン=ヴェストファーレン州の、ガルツヴァイラーという炭田地域の一角にある村だ。ノートライン=ヴェストファーレン州は炭鉱、およびその関連産業が多く、中でもルール地方は、かつてドイツ産業の心臓部だった。ガルツヴァイラー炭田は、ルールより西に位置しており、褐炭の露天掘りの一大拠点だ。

ノートライン=ヴェストファーレン州の石炭産業の中心となっていたのが、電力大手のRWE社。リュッツェラート村の褐炭の露天掘りの敷地もRWE社の私有地で、連邦経済・エネルギー省(現経済・気候保護省)とノートライン=ヴェストファーレン州の経済省との話し合いで、RWEにはここで2030年まで褐炭を採掘する許可が下りていた。そして、そのための村の立退もすでに2017年には終わっていたのだ。

露天掘りというのは、採掘すべき褐炭が地表に露出しており、超巨大なショベル機で泥と褐炭を削り取り、やはり巨大なベルトコンベアに乗せれば良いだけなので、坑道も不要。コストがめちゃくちゃ安い。掘る前は、そこが森だったなら木を伐採し、村だったなら住民を立ち退かせ、巨大な更地にしなければならないが、掘り終わった後に木を植えれば、そこはまた森に戻る。ドイツには、その褐炭が捨てるほどあるが、ただ、都合の悪いことに、褐炭はCO2をとりわけたくさん出す。

周知の通り、ドイツではCO2は毒ガス並の扱いだ。すでに2020年、前メルケル政権の下、2038年で石炭火力による発電を終了することも法律で定めた(Kohleverstromungsbeendigungsgesetz)。これについては、野党のAfD(ドイツのための選択肢)のみならず、当のCDU(キリスト教民主同盟)の中でも、非現実的だと反対の声が上がったが、連立与党であった社民党に押されたこと、また、当時、異常に盛り上がっていたfridays for future運動などの影響もあり、なし崩し的に脱石炭政策は進んだ。

それどころか緑の党は2038年では不満で、2030年の脱石炭を主張。グリーンピースもこの法案を「歴史的な過ち」と弾劾し、活動家が抗議のために議事堂の屋根に登り、「石炭火力なしの未来を」と書いた幕を垂らすという一幕もあった。

このような状況下、リュッツェラートではこれから10年間も褐炭を採掘するということになっていたわけだから、反対派の抵抗は止まなかった。過激な活動家がリュッツェラート村に残っていた空き家を占拠し、その抵抗運動を緑の党が全面的に応援した。当時、同州はCDUと自民党の連立政権だったので、野党である緑の党は、思う存分褐炭採掘反対を叫んだ。

これにより緑の党の存在感が高まったのか、22年6月の州選挙では、ノートライン=ヴェストファーレン州の州政権に加わった(CDUとの連立政権)。当然、これでリュッツェラートの褐炭採掘は停止になると、環境保護グループは狂喜した。

ところが、この状況を一変させたのがウクライナ戦争だった。この頃、すでにエネルギーは逼迫・高騰し、州政府は住民の生活を守るために電力の増強が必要となった。さて、困ったのは緑の党だ。今や与党の彼らが、現実を無視するわけにはいかない。現実というのは、自分たちの州に、発電のための宝の山「褐炭」があるという事実であった。