荒井秘書官発言について記者の質問に答える岸田首相首相官邸HPより

そこで今回出来した荒井総理秘書官の更迭劇だが、「罪が重い」と筆者が考える順に関係者を並べると、①岸田総理、②毎日新聞、③荒井秘書官、となる。その理由を②③①の順で述べる。

「毎日」の罪は「信義則違反」、つまり約束破りだ。4日20:48の記事で自ら書く通り、「3日夜の首相官邸での取材は、録音や録画をせず、発言内容を実名で報じないオフレコ(オフ・ザ・レコード)を前提に行われ」た。が、この言い訳が、荒井氏も同意していたものであるかどうか筆者には疑わしい。

6日の「ヤフーニュース」に米国在住のジャーナリスト安部かすみ氏が寄せた記事に拠れば、オフレコには、①「取材は受けてくれるがコメントはすべてオフレコ」②「取材自体についてないものにする場合」③「コメント掲載は可だが、匿名を求められるケース」④「インタビューの途中や終了後に“このコメントはオフレコで”と言われるケース」など「いくつかの種類がある」という。

「毎日」記事には「実名で報じることは、オフレコという取材対象と記者の約束を破ることになるため、毎日新聞は荒井氏に実名で報道する旨を事前に伝えたうえで・・掲載した」とあり、その理由を次のように書くが、荒井氏が毎日の申し出を承諾したのか否かは、なぜか書かれていない。

本社編集編成局で協議した結果、荒井氏の発言は同性婚制度の賛否にとどまらず、性的少数者を傷つける差別的な内容であり、岸田政権の中枢で政策立案に関わる首相秘書官がこうした人権意識を持っていることは重大な問題だと判断した。

取材現場には「報道各社の記者約10人」がいたが、記事にしたのは「毎日」1社だけ。他紙が報道しなかった理由が、安部氏の言うオフレコ①②④だったからか、それともニュースバリューがないと考えたからかは判らない。が、更迭にまで発展している発言内容からして、後者である可能性は考えにくい。

①②④であったなら「毎日」は信義則に反する。②ならば取材自体が存在しないのだし、「他言(秘密などを他の人に話すこと)は無用」の語がある通り、他言を口外すれば重大な事態を引き起こしかねない。

オフレコは彼我の「黙契」(暗黙の間に成り立った、意志の一致または契約)とも言え、一種の契約だ。契約を守れない人間は周囲から絶交されるし、企業なら取引先から、国家なら国際社会から相手にされなくなる。「社会の公器」たる新聞社が独善的な「判断」で約束を破るなら廃業するしかなかろう。

荒井氏の罪は「危機管理の欠如」。前述したように、彼個人がどの様な思想や信条を持とうと自由であることは19条の保障するところだ。ただし、それはそれらが「内心」にとどまる限りのことであって、外に発信する場合には自らの立場とTPOを弁えることが必要になる。

まして荒井氏は日本国総理大臣の秘書官。彼はあの場で「立場上、個人としての見解は差し控える」と述べるにとどめるべきだった。それがオフレコといえどもリークされる可能性があることへの「危機管理」だ。もし安全保障や外交問題などに及ぶ問題なら、国が危うくなる。

最後に岸田総理。その罪は「浅慮」(考えの浅いこと)。荒井問題を受けて、総理はこう述べている(2月4日 19:30の「日経新聞」)。

多様性を尊重し包摂的な社会を実現していく今の内閣の考え方には全くそぐわない言語道断の発言だ。性的指向だとか性自認を理由とする不当な差別、偏見はあってはならない。

「内閣の考え方にそぐわない」者を閣内に置くのは不適切だから前段は容認できる。が、後段は穏当を欠く。なぜなら荒井氏は性的少数者や同性婚に対する個人の考えを述べたのであり、それを「不当な差別、偏見」とまで断じることこそ19条に「そぐわない」。それは岸田氏個人や「毎日新聞」の考えだ。

岸田総理は「内閣の考え方にそぐわない者やオフレコリークへの危機意識に欠ける者は秘書官として適性を欠く」と述べて更迭すれば良かった。但し、憲法では「思想及び良心の自由」が保障されていること、「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し・・」と謳われていることも付言して。

折しも菅前総理による岸田降ろしが勃発した。岸田氏は21年9月の総裁選に勝利した際、菅総理を横にして、「多くの国民の皆さんが、政治に国民の声が届かない、政治が信じられない、そうした切実な声を上げておられました」と立候補理由を述べた。

自らの発言が惹起するハレーションに思いが至らない、こうした岸田氏の「浅慮」が菅前総理の行動に結びついているとする論もある。筆者も同感だ。安倍・菅政権に届いていなかったのはノイジーマイノリティーの声であり、目下の岸田総理に届いていないのはサイレントマジョリティーの悲鳴だ。