黒坂岳央です。
人間の寿命はどうやって決まるのだろうか? DNAにあらかじめ刻まれていたり、生まれ持った生命力で決まるという「運命決定論」のような意見もあれば、「生活習慣を始め、生き方で決まる」といった意見もある。
もちろん、最終的に個体の寿命は誰にも分からない。タバコを吸い続けても90歳まで生きる人もいるし、健康に気を使っている人ががんでコロリとなくなるケースもある。筆者もかなり健康に気をつけているし、先祖は総じて長生きの家計だが、自動車事故や大震災にあって明日死ぬ可能性だってある。
しかし、あらゆる要素が複雑に絡み合って決まるように見える「寿命」だが、「想像力の有無」が結構大きなファクターなのではないかと思っている。生物学の門外漢の視点からこれを提唱したい。

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世の中には驚くほど想像力が欠けている人たちが存在する。「そんなこと、やる前に少し考えれば誰でもわかりそうなのに」と言いたくなるようなレベルに。
筆者の知っているある人物は、酒に酔って風呂に飛び込み頭部を強打、首から下が永遠に動かなくなってしまった。また、自分が小学生の時に両親は離婚したが、父親は脳梗塞で倒れて半身不随になったようだ(酒と煙草をやりすぎたことが原因とされる)。
また、昨今の飲食店でのバカッター騒ぎでも、明らかに自分の人生を自らの手で終わらせようとしているようにしか見えない。さらに筆者は昔、海外にいった時にドラッグを勧められた経験があるが「絶対にいやだ!」と断ったが、勧めてきた外国人は目の前で陶酔していてそれがなんとも恐ろしかった。
こうした人たちの一部は想像力が欠けている行動や習慣が原因で、自らの人生を閉じにいっているように思える。とても臆病者な筆者からすると、こうした突飛な行動は蛮行にしか思えず、自分の場合は不健康な生活はあらゆるリスクを想像してしまってできない。
不健康な生活を送れば、将来健康を失って一生悔やむ。酒の勢いでおかしなことをしたり、承認欲求に狂ってしまえば永遠に消すことができない禍根を残しかねない。少し先の未来を想像できないと、それは一生涯に渡るダメージを負う危険性がある。結果、寿命を縮めることに繋がりかねないと思うのだ。