頑張りを評価するのは自分ではなく、他者

だが、人は感情の生き物だ。頑張る人、努力する行為に心を動かされることは誰しもある。それは自分自身も同じだ。頑張る人は美しいし、応援したいと思わされる。重要なポイントとしては、それを考えるのは周囲であり頑張っている本人ではないということだ。

時折、「頑張っているのに評価してくれない」という趣旨のことを言う人がいる。だが、同氏の言葉を借りるならそれは甘えでしかない。多くの場合、その頑張りは絶対量が足りないために結果が出ないか、人の心を動かす水準に満たないということがほとんどである。つまり、「自分なりの頑張り」には意味がなく、頑張ることそのものに価値があるという場合でも、それは他の人が判断することなのである。

「頑張っているつもり」になる人ほどやっかいなものはない。そういう人ほど、自己評価は高いが、他者評価が低く、総じて問題行動やコミュニケーションコストを引き上げる要因になるためである。

同氏のアニメ作品が世界を席巻し、何度見直しても新たな発見があると努力の爪痕を評価されるのは結果を出しているからであり、これも自己評価ではなく他者評価によるものだ。

昨今、「頑張りすぎなくてもいい」とか「あなたは十分頑張っている」みたいな表面的なきれいごとが多いと感じるが、マーケットは学校でもなければ母親でもない。マーケットは甘くはない。

「頑張りを認めてほしい」という主観的な希望は脇に置き、黙って頑張っていたら他者が評価してくれるような努力を目指したいものである。高い評価を受けたり努力をリスペクトされるようなアスリートやビジネスマンには、努力を自ら誇ることはしないのだ。

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