軍備と戦争は切っても切れない関係にあります。我々は、それらをどう考えたらよいのでしょうか。
戦争とは、国家と国家が軍事力を行使して衝突する事象です。国家は戦争では武器を使って勝利を目指します。
国家は、その軍事力が強ければ、戦争で勝ちやすくなる反面、弱ければ負けて悲惨な結末を迎えることになりがちです。ですから、政策立案者は戦争の勝利を敗北より優先して、競争相手国より強力な軍備で自らの主権や独立を維持する意欲を持ちます。国家が生存する限り、武力と縁を切ることはないでしょう。

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戦争に敗れて破滅した国家の例として、「カルタゴの悲劇」がよく引かれます。カルタゴは、紀元前に北アフリカのチュニジアあたりで栄えた国家でした。カルタゴはローマと3回にわたり戦いました。この戦争を「ポエニ戦役」と言います。カルタゴは名将ハンニバルに率いられた精強な軍隊でローマ軍を苦しめましたが、第3次ポエニ戦役で敗北した結果、滅ぼされてしまいました。
紀元前146年、スキピオ・アエミリアヌスの軍勢に襲撃されたカルタゴは、完全に破壊されたのです。この戦争でカルタゴ住民の10分の9が戦死や病死、餓死しました。生存した女性や子供は奴隷として売られてしまいました(ジョージ・コーン『世界戦争事典』河出書房新社、1998年、465頁)。こうした悲劇から逃れるために、国家はほとんど例外なく軍備を増強しようとするのです。
世界政府が存在しない状況すなわち国際的アナーキーにおいて、主権国家には公的な安全が提供されません。身に危険が及びそうな時に、通報すれば助けてくれる国際110番はありません。アナーキーでは自力救済が国家行動の基本原則になります。ですので、主権国家は自衛のために武力を持つことが正当と認められるのです。
戦争は国家間の利害対立が、平和的に解決できない時に起こります。戦争はコストがかかる行為なので、国家は対立をバーゲニングにより解決した方が得です。国家間に配分されたパワーにしたがい、強い国家はそれに応じて取り分を得る一方で、弱い国家は妥協や譲歩をするということです。
しかしながら、戦争は不確実性が高い行為であるために、国家はときに楽観的になって戦争を始めたり、支配される恐怖に駆られてリスクの高い戦争にしばしば及んだりします。国家にとって戦争の危険はリアルなので、政治指導者は、どの国が台頭しているのか、どの国が衰退しているのか、自分はどの立ち位置にあるのか、深く注意を払っています。
そして、戦争の脅威にさらされる国家は、攻撃されることを抑止したり、他国からの侵略から防衛したりするために、ライバル国より強力な軍事力を持とうと競い合います。この相互作用こそが、軍備拡張(軍拡)競争に他なりません。
軍拡と戦争戦争が起こる前には、国家はほとんど必ず軍備を強化します。なぜなら、国家は勝とうとして戦争を始めるからです。こうした軍事力の強化は、戦争と深く結びついているように見えます。人間の脳は、複数の要因を結びつけることは得意ですが、それらを結びつけないことは苦手としています。