にもかかわらず、荒井秘書官の場合、毎日新聞などの複数の記者たちがオフレコを破って記事化した。さらに驚くことは、岸田首相の対応だ。首相は荒井秘書官を更迭しただけで、記者や新聞社へのアクションは何もない。一件落着といった態度だ。オフレコは紳士協定に過ぎないが、政治家とメディアの信頼関係の上に成り立っている。なぜオフレコ破りの記者と新聞社に対してはっきり抗議しないのか。首相の弱腰に驚く。首相の息子の外遊問題が追及されていることもあって、メディアに対して強い姿勢が取れない、とすればあまりにも惨めだ。
記者は記事になる情報がほしい。特に、左派的メディアにとっては政権批判できる情報がほしいわけだ。荒井秘書官のような性的少数派差別と受け取れる発言を聞けば、記事にしたくなる。岸田首相自身が1日、衆院予算委員会で、「同性婚を認知したならば、社会が変わる」と発言し、メディアから厳しく追及された直後だ。その首相秘書官の発言は絶好の情報だ。オフレコ破りによるマイナス面を考えても、記事にしようとする衝動の方が勝ったわけだ。
しかし、今回の件で慎重な政治家は口を閉じることになるだろう。そうなれば、岸田政権の動向はますます透明性を失うことになり、国民の支持率も低下する。メディア関係者にとっても貴重な情報源を失う。両者にとってマイナスが多い。
オフレコは政治家と記者たちの間の信頼関係で成り立っている紳士協定だ。オフレコ破りはその信頼を失わせることになる。もちろん、オフレコ自体が正しい情報入手の道かはここでは問わない。だが、オフレコが成り立っている限り、最低限、その約束事は守られるべきだろう。情報収集の道を自ら閉ざすような行為は一時的には喝采を受けても、長期的には「情報を集める」「読者に伝える」という活動の幅を狭くし、メディアにも読者にも、そして情報を発信したい政治家の側にも利益になることはない。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年2月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。