今が最大の危機であるという認識は作られたものではないかと私は思っています。戦争になるぞという時代精神が浮上し、非戦という発想が後景に退いていることが心配です。
「安保3文書」が明記した「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している」との認識を真っ向から否定する。
さらに「87年の警告射撃事件の際は、現場にいたそうですね」と聞かれ、こう答える。
私は射撃指令に反対で、のちに意見具申をしました。もしソ連側が攻撃をされたと誤解したら、自衛隊機が攻撃され、戦争に発展してしまう恐れがあったと訴えました。
そんな馬鹿な。「警告射撃」は、明文の法的根拠を持つ正当な業務行為である。それを後日、「自衛隊機が攻撃され、戦争に発展してしまう恐れがあった」からと咎めるくらいなら、そもそも自衛隊機を緊急発進させるべきでない。実弾を搭載した戦闘機を対領空侵犯措置に就ける事自体、間違っている、ということになってしまう。
以下の発言にも驚いた。
――90年代に第7航空団司令を務めた際には、緊急発進するパイロットに「引き金を引くな」と言っていたそうですね。
ええ。相手に先に撃たせることで初めて、こちらが攻撃を行う正当性が確立されるのだと指導しました。相手に先に撃たれて脱出することは批判をされるし恥辱でもあるだろうが、その覚悟と忍耐によって日本の正義が保証されるのであればパイロットは真のヒーローたりうるのだ。そう説きました。
ここにも自衛権行使要件をめぐる誤解が影響している。厳密に議論するなら、対領空侵犯措置における武器使用は、刑法上の「正当防衛」(または緊急避難)要件であり、国際法上、武力を行使できる自衛権行使要件とは異なるが、以下のとおり相似を見せる。
刑法上の正当防衛とは「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為」。この「急迫」は「法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫っている」状態(最判昭46・11・16)であり、「被害の緊迫した危険にある者は、加害者が現に被害を与えるに至るまで、正当防衛することを待たねばならぬ道理はない」(最判昭24・8・18)。あくまで「急迫」(現在)が要件である。
ゆえに、過去の侵害は、侵害が終わってしまっている以上、防衛はできない(前田雅英『刑法総論講義』東京大学出版会)。過去の侵害に対する正当防衛(反撃)は認められない(大塚仁『刑法概説』有斐閣)。そう考えるのが判例通説である。
つまり、林団司令の「指導」は、間違った法解釈に基づく。もし、それが職務上の「指揮」(命令)だったのなら、法的に無効である。違法かつ不当である。
本人は「司令の権限を越えた指導であり、処分を覚悟した行動でした」と語るが、自衛隊法は「正当な権限がなくて又は上官の職務上の命令に違反して自衛隊の部隊を指揮した者」は「三年以下の懲役又は禁錮に処する」と定める(119条)。だが、本人は懲役相当の行為を「盧溝橋事件の歴史を繰り返してはいけないという思いがありました」と自己正当化する。
前回投稿から日が浅いが、大先輩ながら看過できない発言を見つけたので、あえて続けて寄稿した次第である。