日本電産の永守重信氏が理事長を務める京都先端技術大学と先般、Zoomミーティングをしました。同大学で積極的に進める海外でのインターンシッププログラムの開発に於いて私とコラボをしたいということでした。まだ最終結論を出していませんが、前向きに検討しています。

ミーティングの相手はカナダ人でもちろん、全部英語です。大学事務局とのやりとりが英語とはなかなか進んでいると思わせました。担当者からいろいろな話を聞き、ウェブサイトで永守氏の熱い思いを読む限り、私が思い描く国際人養成という観点は共鳴します。同大学の技術系学部では外国人学生が半分ぐらいいることもあり、クラスが英語で行われるなど高いレベルにあるようです。むしろ、英語で教鞭をとれる日本人の先生がよく集まったな、という気すらします。

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ところで母校の校友会の関係で2月に東京で会議があるのですが、そのテーマの一つが「校友会のあり方」です。私が常々思っていることは我が母校の場合、校友36万人のメリットが何一つ取れていない非常にもったいない集まりという点です。なぜ、何処の大学でも校友会が形骸化しているのかと言えば今更そんな団体、ちっとも流行らないからです。幹部は時間がある定年退職した高齢者が主体で現役層は少ないです。変化は好まず、あくまでも親睦という発想しか出てきません。

大学とは何でしょうか?

発想を完全転換したいのです。人生前半で学びとしてほぼ最後の仕上げの4年間という位置づけであり、卒業したら「ハイ、それまでよ」の方が99%だと思います。大学卒業してから母校の門をくぐったことがある方、いらっしゃいますか?つまり大学を通過点としかとらえていないのです。

生涯教育という言葉が時々聞かれるようになりました。リカレント教育とも言いますが、北米では昔からごく普通に存在していました。流行もしないですが、一つの方法論として確立されています。それは人生を歩む中で必ず、ふと道に迷ったり、はたと気がついたりした際にそれを学問として深掘りすることで自分のこの先の道のりを知的かつ、より太く逞しくするためであります。岸田首相のいうリスキリングはやや意味が異なり、時代の変化と共に産業構造が変わるので自分の専門性をより柔軟に対応させるためのテクニック論に近いと考えています。