人文・社会科学系会員の中に、凄まじい国際的な研究開発競争を体験し、その重要性を認識できている人は果たしてどのくらいいるのだろう。少なくとも自然科学系研究者ほどには理解できていないはずだ。論文数の世界ランキングをみると、両者の研究力や意欲の格差がわかる。

下表は、世界各国の学術論文数を比較し、ランク付けをしているSJR(Scimago Journal & Country Rank)のサイトから日本の順位を抜き出したものである。サイトでは、論文総数の順位の他に、27の学術分野ごとの順位、さら1996年から2021年までの年次順位を閲覧できる。

表では、総数のほかに11分野を取り出し、経年的比較のために直近の2021年のほかに、2011年、2001年の順位を示した。

日本の研究力の後退は明らかで、論文総数では、20年前の2位から7位に転落した。1位から6位は順に中国、米国、イギリス、インド、ドイツ、イタリアであった(SJR)。

しかし、それでも自然科学系は健闘している。資金不足、業務過多など年々厳しさを増す理科系大学/学部の研究環境はもとより、中国、インドの台頭、先に述べたような研究テーマ上の制約を考えると、致し方ない面も少なくない。それに引き換え、人文・社会科学系はどうだろう。とても先進国とは思えない。

政治学という一分野、しかも学界のごく片隅にいた身にすぎないにもかかわらず、大口を叩かせてもらえば、日本の人文・社会科学者には海外の研究者と肩を並べて競うという意欲が薄いようにみえる。この内向きの空気は、(政治)学界や大学内にも蔓延し、査読付き国際学術誌への投稿や国際的な学会報告など海外での学術活動は評価どころか、推奨さえされない傾向にある。むしろ、メディアで活躍したり、社会運動に励んだりするほうが歓迎される。

たとえば、私が勤務していた大学では、教員が新聞、テレビに登場すると、その記事や登場シーンが大学院の掲示板や大学ホームページに大々的に紹介されていた。しかし、英語の査読付き論文や学術書の存在は教員紹介ページから当該教員の名前にアクセスし、さらに学術データベースをクリックしなければわからない。そんな面倒なことは誰もやらない。

メディアにおける活躍や社会運動が無意味だと言うつもりはない。これも大学教員の社会貢献の一つだろう。露出はかれらの自尊心を満足させるうえ、大学名が売れるというもメリットがある。だが、それは教員の研究力を低下させ、やがて意欲さえも減退させる。研究の国際競争力をつけるどころではない。せいぜい自然科学系の足を引っ張るのが落ちだ。