3月に新大統領に就任するペトル・パべルは、チェコの第4代大統領で国民投票によって選ばれた2人目の国家元首、と28日の「ラジオチェコ」は報じる。初代大統領は、ベルリンの壁崩壊と相前後した89年11月のチェコの共産党体制崩壊(「ビロード革命」)で就任したヴァーツラフ・ハベルだ。
では林書の副題にある「マサリク」とは何者かと言えば、チェコスロバキアの初代大統領だ。1918年、同国が第一次大戦の終戦でハプスブルク帝国(オーストリア=ハンガリー帝国)から独立を果すのに、マサリクが亡命した海外で各国に窮状を訴え、またロシアで「軍団」を結成するなど多大な貢献をしたことに由る。
マサリクは1918年4月に日本にもしばらく滞在した。が、それは日本が米国の要請を機にシベリアに出兵する3ヵ月前という時期のせいか、国内でほとんど話題に上らなかった(林書)。その日米がシベリアに出兵をする理由にしたのが、この「軍団」を救出することだった。
オーストリア=ハンガリー帝国の北部地域にあって、北と西をドイツ、東をロシア(ウクライナ)と接し、帝国の南にはセルビアなどのバルカン諸国、更にその南にはオスマン帝国が位置するという第一次大戦前のチェコスロバキアの地政は、こう並べただけでもきな臭い匂いが漂う。
その辺りを林はこう書いている。
オスマン帝国によるバルカン支配は、十九世紀に入るとバルカン諸民族のナショナリズムの台頭によって動揺を来たし、しだいにバルカン諸国は自治や事実上の独立を獲得することになる。・・さらにこの地域に少なからぬ関心を抱くロシア帝国とハプスブルク帝国が様々な局面で問題に関与し、加えて英仏独と言った列強もこの地域に無関心ではあり得なかった。
ここでは第一次大戦(1914年7月-18年11月)の詳細には入らないが、林はそれを「見方によってはスラブ対ゲルマンの戦いといえなくもなかった」とする。未だ中立だった16年末、ウィルソン米大統領が交戦国に戦争目的を問うた際、連合国の回答には「イタリア人、スラブ人、ルーマニア人、そしてチェコ=スロバキア人が外国の支配から解放されること」との一項があった(林書)。
マサリクはチェコ兵士の出征を見ながら、何かしなければとの焦燥に駆られていた。14年夏に家族でドイツを訪れたマサリクは、帰りの列車で召集を受けて帰国する、ドイツで働いていたチェコ人兵士と遭遇する。同じスラブ人であるロシアやセルビアの兵士と戦うことに大義を見出せない彼らは酩酊し、その士気は高くなかった。
ロシアではチェコ人とスロバキア人の移民からなる義勇軍が編成され、14年12月にはその中の一人がプラハで反乱を促した。15年4月にはチェコ兵1400人、6月には1500人の連隊がロシア側に投降していた。マサリクがこうした兵を纏めた「軍団」は、膠着する西部戦線を避け、ウラジオストクから海路フランスへ向かう。その過程のシベリア鉄道で孤立したことが「シベリア出兵」の口実となった。
こうした中、マサリクは西欧で独立運動を展開する旅に出る。先ず中立国オランダ、次にイタリアからスイスで活動し、パリに向う。当時の米国には50万のチェコ人と28万のスロバキア人移民がおり、マサリク夫人が米国人であったことや、民主主義を重んじるマサリクの西欧的思想も相まって、彼らはマサリクを支持し、多額の寄付を行った。
ロンドンでは、後年パベルに修士号を与えたキングス・カレッジが、新設するスラブ専門学部の講師としてマサリクを招いた。15年10月の就任演説で彼は、小国が独立し乱立することが国際政治を不安定化させることを危惧する列強のこの伝統校で、小さな民族が国家を作ることの意味を説こうと、民族と国家が別のものであることを強調した。
マサリクは、国家が「人工的なもの」であるのに対して、「ネイション」つまり民族を、言語や文化で結ばれた人間集団として位置付け、それは「自然なもの」であり、「民主的なもの」であるとし、そういった民族に基づいて国家も創られねばならないと述べた(林書)。
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斯くて独立したチェコスロバキアは89年の「ビロード革命」で民主化したが、93年にチェコ共和国とスロバキア共和国に穏やかに分離独立する(「ビロード離婚」)。チェコの11百万、スロバキアの5.5百万の人口のそれぞれ8割強をチェコ人とスロバキア人が占める。
そこで冒頭に戻れば、蔡英文へのパベル発言のキーワードも「民主主義」だ。マサリクのいう「ネイション」つまり「民族」とは、換言すれば「台湾人アイデンティティ」に相違ない。台湾国立政治大学が毎年行っている世論調査は、30年前には20%に満たなかった台湾人アイデンティティの持ち主が、今や60%台まで上昇したことを示している。
先の台湾統一地方選挙で大敗した蔡に代わって民進党主席に就任した頼清徳は、自身が台湾独立派であることを問われ、「台湾は既に独立している。台湾の独立を改めて宣言する必要はない」「台湾も中国も互いに帰属してはいない。台湾の将来は台湾の2300万人の住民が決める。この考え方は蔡政権の従来路線と変わらない」と述べた。
自国の将来を国民が決められる、それが民主主義ということだ。