フランシスコ教皇は就任以来、同性愛、同性婚について何度かその考えを述べてきた。同教皇はAP通信とのインタビュー後、米国のイエズス会のJames Martin神父に書簡を送り、「同性愛を犯罪化するな」という自身の発言について説明する一方、「夫婦以外の相手との性的行為は罪だ」とはっきりと述べている。同教皇によると、「同性愛を犯罪にしようとする人たちは間違っている。同性愛は犯罪ではなく、人間の状態だ」と考える。それゆえに「私たちはみな神の子供であり、神は私たちのありのままの姿を望んでおり、私たち一人ひとりが尊厳のために戦っている」というわけだ。

同性愛、同性婚問題はアフリカ諸国だけではなく、欧米諸国でも宗教関係者にとって大きなテーマとなっている。例えば、ドイツのハンブルク大司教区のステファン・ヘッセ大司教は昨年1月24日、カトリック教会のクィアの人々について、「性的指向のために自分のアイデンティティを隠したりしなければならない教会は、私の意見では、イエスの精神とは一致しない。信憑性と透明性を恐れるべきではない」と語り、クィアの人々に支援の手を差し延べている。

クィアの人々とは、性的指向の少数派LGBTに属する人という意味に受け取られている。最近では、セクシュアル・アイデンティティ(性的指向)とジェンダー・アイデンティティ(性自認)を合わせた意味合いが強くなってきた。具体的には、ゲイやレスビアン、バイセクシュアルな性的少数派を意味する一方、トランスジェンダー、シスジェンダー、ジェンダーフレキシブルといった性自認を含む。先の大司教の発言は、教会で働く125人のクィアの人々が、「自分の性的指向と性同一性に従って生きることが解雇につながらないように教会の労働法を変更してほしい」と訴えたことに対する返答だ(「“クィアの人々”との対話進める教会」2022年1月26日参考)。

参考までに、ジュネーブの国連人権理事会で先月31日、「普遍的・定期的審査」(UPR)作業部会の日本人権セッションが行われたが、そこでも加盟国から日本の同性婚の認知が遅れていることに質問が出ていた。同性婚問題が普遍的人権問題の一つとしてテーマ化されているわけだ。同性婚の認知を求める圧力が今後、日本でも高まることが予想される。

時には矛盾するような発言して信者たちを困惑させるフランシスコ教皇だが、非常に正鵠を射たと思える発言があった。ドイツの教会刷新プロセス(「シノドスの道」)に対して、「教会の刷新は、社会学的なデータに基づいて行うものではない」といった部分だ。

統計学が発展し、ビッグデータが経済、社会の動向に大きな影響を与える時代だが、フランシスコ教皇は、「社会学的データで過半数が同性婚を認めているから、教会も認めるべきだ」という論調に対して、警告を発したわけだ。

「社会学的データ」とは、社会での人間的営みに基づいたデータだ。そこで過半数を占めた人間的営みのデータを即、正しい、とは言えない。同じように、教会の刷新は社会での人間的営みに基づいて決めるものではないという。聖書学的にいえば、「この世の社会の人間的営み」とは、「この世の神」と呼ばれる悪魔が牛耳った世界だ。だから、社会学的データが「同性婚」を認知すべきだとプッシュしたとしても、教会ははっきりと「ノー」といえる信念が必要だというわけだ。

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年2月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。