農耕民族である日本人ならではといえるのが日本の住宅問題です。それはサラリーマンの転勤でもない限り、住処を移動することがなかなかない点です。一生の買い物と称し、住宅販売会社もそれを煽ります。100年住宅など良い例です。そうすると一つの家を新築からボロボロになるまで使い倒す、これが日本の住宅思想になってしまいます。また外部を排す日本の文化は居住地の移動にマイナスのイメージもあります。「おっ、よそ者が来たぞ」と。

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私が在籍していたゼネコンは宅地造成の工事が得意だったこともあり、日本全国で宅造の工事を請け負っていました。私自身も何現場か担当したことがあります。その頃販売された住宅は築40年近くになるはずですが、たぶん、当時販売された多くの住宅は今でも同じ人たちが所有していることでしょう。土地や街への愛着感です。ちなみに私が今住んでいるバンクーバーのコンドミニアムは75戸あるのですが、築16年経った今、当初から住んでいる人は1/4程度だと思います。

宅地造成を含む街づくりの観点からみると、街の中の居住者が循環しないため、築年数と共に廃れていく傾向が見られます。例えば東京でみると、1948年開発の戸山団地や1960年の赤羽桐ヶ丘団地、1962年の赤羽台団地、1972年の高島平の団地はその典型です。テレビによく出てくるひろゆきさんは桐ヶ丘団地出身ですね。一部の団地は老朽化が進み建て替えも進みますが一部団地ではオリジナルの住民が一割ぐらい残っているところもあります。同様に近郊のニュータウンもほぼ全て当てはまります。

次に賃貸用住宅(アパート)です。日経によると1都3県に空き家数は200万戸、うち個人用住宅の空き家が60万戸で賃貸用住宅の空き家が130万戸ぐらいあるとされます。130万戸は今、生まれてくる子供の数の2年分です。いかに住宅の供給がいびつなのかわかると思います。ちなみに全国の賃貸住宅の空き家となると430万戸以上と膨大な数になります。

私は日本に行くと住宅街にひっそりとたたずむセピア色をした昭和の面影を残す2階建て木造住宅、要はボロアパートに一体賃借人はいるのだろうかと思うのです。それでも大家が手をかけているところは不動産屋の賃貸情報に出ていますが都心ですら賃料は4-5万円ぐらいです。風呂ナシ、共同トイレでしょうけれど。強引な物言いかもしれませんが、私はそんな物件は全部潰すべきだと思うのです。

理由はいくつもありますが、一番大事なのは経済が成立しなくなる点です。外から見ると日本の生活水準は二極化しています。安い方に向かうといくらでも安くできるその一つの背景が住居費なのです。雨がしのげればよいといってタダのような住宅費でも生活ができるため、努力しないでもすむ社会が生まれてしまうのです。