1965年、中国文革の時代に私は時事通信社の特派員としてローマに派遣された。西側最大の共産党勢力がどうやって政権を奪うのか。私はワクワクしてローマに赴任したが、すぐに悟ったのは一本調子では政権は取れないという現実だった。
1956年にハンガリーの自由化要求をソ連(現ロシア)が武力をもって鎮圧した。イタリアに亡命してきたハンガリー人は約100万人と言われたが、彼らは極度の共産党嫌いだった。当時イタリア共産党がやっていたのは「我々はロシアの共産党とは違う」という宣伝だった。だがどの家族にもハンガリー人が1人は転がり込んでいるような有様だったから、反共感情は収まらなかった。
12年後の68年、ソ連は今度はチェコに侵攻して民主化運動を叩いた。そのチェコからの亡命者もヨーロッパ中に撒かれた。西側共産党にとっては大打撃で「ウチの共産党は違う」ところを示すしかなかった。
70年代から欧州の共産党に浸透してきたのは、ユーロコミュニズムという新思想である。ソ連が瓦解する寸前の80年代には、欧州の共産党は様変わりしていた。民主集中制をやめ、党首公選制を取り入れたりして新しい政党に生まれ変わった。共産党は普通の政党になり、連立政権の一員として政権に加わるのが一般的となった。
一方、日本共産党は政権に全く縁がないままだ。これだけ社会に困難が広がっている時代だ。日本共産党も知恵を出せ。
(令和5年1月25日付静岡新聞『論壇』より転載)
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屋山 太郎(ややま たろう) 1932(昭和7)年、福岡県生まれ。東北大学文学部仏文科卒業。時事通信社に入社後、政治部記者、解説委員兼編集委員などを歴任。1981年より第二次臨時行政調査会(土光臨調)に参画し、国鉄の分割・民営化を推進した。1987年に退社し、現在政治評論家。著書に『安倍外交で日本は強くなる』など多数。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年1月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。